渦巻く
どでかい女神がお出迎えの芸大。凶暴パンダも、その下でのびている龍も笑えました。 昨日の「日々をていねいにつむぐ」・・・つづきです。 世界の美しい循環に貢献すること。 生きることは、そういうことではないかと感じていて、少なくとも私の生きている目的のひとつは、これです。 流れ流れ、日々変化していく世界。変化こそが、生きる者のもつ特長で、生命活動が止まって「変わらないモノ」となった時に、それはそのまま終わりを迎えます。 神話学者の故ジョセフ・キャンベル氏が『神話の力』(よい本です。ラストにご紹介しました)の最後の方のインタビュー中で語っていて、ゾッとしつつ、あぁたしかにそういうものかもしれないと感じた言葉がありました。 彼の、世界の神話を縦横無尽に読み解いた偉大な学者は言いました。 生命に目的はない、と。 ただやみくもに変化し、ただただ生き延びていくだけなのだと。 (「私は生に目的があるとは信じません。生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズム(原形質)にほかなりません」) インタビュアーのモイヤーズ氏が「まさか、そんな・・・」と絶句する中で、キャンベルは続けます。 でも生命体はそれぞれ独自の能力を有していて、それを生きることが役目かもしれない、と。(「しかし、あらゆる生命体は、ある潜在能力を持っており、生の使命はその潜在能力を生きることだ、とは言えるかもしれません」) だから、自分にとっての至福を追求せよ、と。 もっとも大切なことは、あなたの無上の喜びに従うことだ、と。 人は人それぞれ、どう世界を見るか、とらえるか、感じるか、規定していくのかはまったく自由です。 芸術は、そんな発見の最先端、試行錯誤のまさに実験場です。 「こんな世界があったよ」 「こんなものをつかってこんなものが出来たよ」 「あれとこれをまぜたらこんな色になったよ」 「こんなメロディをみつけたよ」 「こんなふうな描写もできるよ」 「こんな食材でこんな料理が出来たよ」 「こんな歌い方もできるし、こんな声も出せるよ」・・・絵で、写真で、書で、彫刻で、陶芸で、音や歌、踊りやファッション等々、ありとあらゆるものすべてを使って、ただ、遊ぶ学生たち。 あの場で彼らは、まさに混沌の中にいてそれらを享受し、私はそのエネルギーに翻弄されつつ、熱を帯びながらキャンパスをさまよい、途中でゲリラ豪雨もあって、足もとのぬかるみも最高潮。なんだか東南アジアのスコールの後の市場のような雰囲気と喧噪でした 目的だった雅楽演奏は、リズムが気持ち早めで、古典でありながら若い意識が入った音は新しさが感じられ、尺八の演奏はまるでコーラスのようであり、今までみたこともない演奏方法に、あれもアリなの?とか、日本舞踊も基本はありながら、まるで違う芸能をみているようで、古典と現代、海外のものと日本のものが、試され、足され、引かれ、交ぜ合わされながら、ぐるぐる・・・と、エネルギー全開でした。 全開なので、全壊でもあり。壊して壊して新しく生まれる。その渦巻の中で、珍しく頭痛までして、私のあたまもずいぶんかき回されました 出店で美味しかったお餅で作ったワッフル、名前は「モッフル」なかなかの美味でした これも、新しいカタチ。新しい味。 【送料無料】神話の力価格:1,050円(税込、送料別)