境界線に立つ
先日、テレビで「おくりびと」を観ました。→ ちょっと見られます 「納棺師」の主人公、本木雅弘さんドンピシャリです。たしかご本人が企画から関わって創りあげられたとか。すばらしい仕事です。 儀式に関わるには、人としての品が問われると感じます。 見た目とか、話していることとか、そんなものじゃない、ただそこにいるだけでかもし出す雰囲気、魂の質そのもの。いい訳の出来ない、ありのままがそこにむき出しにあって、それをそのままさらされるような。 本木さん、山崎努さん、いいですねぇ・・・役者としてももちろんですが、人として惚れてしまいそうです。 人の生死に関わる境界線の仕事。日常でない、文字通り「異常」な状況に関わる時、人はそれを畏れ、あがめ、同時に忌み、遠ざける反応をします。 あがめられながら、同時に疎まれながら、それでもなくてはならない仕事。 境界線に立つこと。 生と死という異なる世界をつなぐこと。世界を反転させ、すみやかに送り、ざわつく場を調え、逝く人残る人それぞれの魂と心を鎮め、双方をそれぞれの新たな世界へ切り結んでいく。 そういう仕事。強烈に惹かれます。 生きているうちに、この世界で私の出来る仕事を模索しつつ、深めつついます。 ある女性の映画監督が、「人生はハードな遊び場」と喝破していて、思わず笑ってしまったけど、これはビンゴですね。 その監督は、専業主婦から離婚して書く仕事に入り、自主映画の監督になって全国を映画普及に飛び回っていて・・・70歳だったかな。新聞にステキな笑顔が載っていて、私はその表情の中にあるすべてない交ぜになったものをひっくるめて感じました。 美しい。 きっとこの方は、今死んでも、笑って逝くだろう。 同時に、夫になる人の顔も知らずに嫁いできて半世紀以上、妻として嫁として母として祖母として、すべてを引き受けて、一箇所で生きて亡くなった祖母の柔和な顔も思い出します。 自分の人生を引き受けて生き切った、その潔さは共通しています。 かっこいいな。 朝から、こんなことを考えつつ・・・台風の持ってきた湿った空気の中で、今日は家で仕事です