コンチキショー
両親が連れだって旅支度をしています。 ちょっと遅れの帰省とお墓参りで、しばらく家を空ける予定です。 父は十代の頃に戦争を経験し、今は沖縄の海に沈んでいる戦艦大和の最後の出航を見送った一人です。 呉に召集された若かりし頃の父は、初めて大和を見た時、その大きさに圧倒されて何度も何度もその姿を見に行ったと嬉しそうに話します。 今回初めて、広島県の呉の大和ミュージアムにも行く予定を組み、とても楽しみにしています。 単なる観光とは違うので、その心は私からは計り知れないけれど、家族として素直によかったなと思います。 日本の象徴とも言える名前の船が、今も沖縄の海底に沈んでいる光景を思います。センチメンタルな気分ではなく、私はその船の中に今も祀られてある神を思います。 奈良の大和神社の御祭神大国魂大神が、今この瞬間も真っ暗な深海にひっそりと、しかしきちんとそこにおられる様を想像します。 少なくとも私は、忘れないでいようと思います。 戦後60年以上過ぎても、父は時々「原爆を落としやがって」「コンチキショー」とうめきます。どうしようもなかったにせよ、コンチキショーと。 私は、福島の原発事故が起きた時に思いました。「コンチキショー」。 チェルノブイリの事故が起きた時、日本にも放射能の雨が降った時、その後息子を授かった時、原発はよくない。少なくとも、まだ人類は原発とつき合うには未熟。その時に出来る自分の精一杯の活動をしました。反原発のPR、継続的な募金、会合に参加、署名・・・ 25年前、「まだまにあうのなら」と言う冊子は、その頃お母さんが原発を止めなければ未来はないと、危機感を持って創りあげて全国で読まれた小冊子です。 【送料無料】まだ、まにあうのなら増補新版価格:1,050円(税込、送料別) とてもいい本でした。あの頃のお母さんたち、今の私の世代の方々・・・お元気ですか。 私は今ひとり、思ってます。 「コンチキショー」 何が違ってたのかな。何故、息子が育った今、福島の原発事故が起きてしまったのかな。 少なくとも、今は無力感にひたってる場合ではない。 今わかるのは、犠牲者の視点を越えようと。 どうやら自分は被害者ではなく、あの事故を起こしたのは自分、と。 そこから、始めるのがいいみたい。 勘です。 コンチキショーは、自分に向けて。 さて。仕事に行ってきます