道徳の時間
ぽんぽん、口うるさい母から逃避して夏休み学習教室に行きました。 「またそうやってお手伝いをさぼろうとする!やりたくないから学校に行くんでしょ」 「ちがうもんっ!」 「学校であそんでばっかでこのあいだみたいに勉強しなかったら、帰ってきてからまた勉強させるからねっ!昨日もおとといも全然宿題やってないんだからね」 「勉強してるもんっ!」 口から先に生まれた母と、口が最後だったんじゃないかと思われる娘…(逆子じゃなかったはずですよ?)口が重い人って、肝心なことしか話さないけど、口が軽い人は話しながら自分の考えをまとめたりする。ある意味迷惑です。(<自分) ちょうど最近のマイミクさんの日記にかぶりますな(ね、ケンケンケーンさん) そうそう、ぽんぽんが二年生の時のお話。 授業参観の科目が「道徳」でした。 「ほんとうのゆうき」というタイトルのお話を読んで、みんなディスカッションする、という授業で、そのお話の内容というのが、 「さるくんとくまくんときつねくんが、下校途中によそのおうちのお庭の夏ミカンの木から夏ミカンを出来心でとってしまう。いっしょにいたうさぎくんはとめたのだが、くまくんに「なんでとらないんだよ、勇気のないやつだ」といわれ、結局いっしょに夏ミカンをとってしまい、良心にさいなまれる…」 というものでした。先生が黒板に ・うさぎくんのきもちをかんがてみましょう。 ・うさぎくんはどうしたらよかったとおもいますか? などなどと項目をリストアップしてみんなに問いを投げかけていきます。 ママたちが後ろにずらりといることもあって、無邪気な二年生は、元気に「はいはいはいはいはい!」と次々に小さな手を挙げているのですが、ふと見るとぽんぽんは挙げてない。 つまんなそーな顔をして机の中身をいじくっているか、椅子をゆらしてあそんでいるか。で、一時間の間に一度だけ手を挙げてさされ、まっとうな答えを言ってましたが、あとはまた挙げない。 帰宅してから、なんで手を挙げないの?と理由を聞いたら、 「だって、うさぎがわるいにきまってるじゃん。とっちゃいけないものはとっちゃいけない」 ときっぱり。 「でも一度挙げてたね」 「たまに挙げないと先生がうるさい」 「…(冷めてるねえ)」 この授業は、 「いけないことはお友達に誘われてもやってはいけません。それが本当の勇気です」 という「正解」にむけて絞られている雰囲気が明白でした。先生も生徒もはじめからそれをわかっていてやり取りしている、ある意味出来レースなので、私のように言葉を浪費するのが大好きなタイプには別に苦でもないのですが、ぽんぽんのように「どうでもいいことはしゃべりたくない」タイプにはばかばかしかったんでしょうね。 授業でも一応くまくんの気持ちとかうさぎくんの気持ちとかに言及してはいるのですが、もっとそこをほりさげたら面白いのに。 「悪いことだとわかって、やってしまう時ってどんな時?」 「誘われたら断れたと思う?」 「もし断ってたらどうなったと思う?」 「あなたがくまくんで、うさぎくんが断ったらどう思う?」 こういう闇の部分にもっと光をあててほしいなあ。 それを「いけない」と裁くのでなく、そういう感情がだれにでもあって、人間はそれを抱えて生きているんだということを、そしてそんな人間であっても神様にみんな愛されているんだということを、こどもたちに理解してほしいんだけどなあ。 人として「正しい」答えだけあって、そういう風に生きなさい、っていわれたって、そんなふうにできたら世話ないっすよ、と、親子で斜に構えた道徳の時間を、なぜか今朝思いだしました。