「王道」とはっ!?
サンシャイン牧場に友達を招待すると、ポイントがもらえると知ったぽんぽんにせがまれて、何人かの方に招待させていただきました(^^; すみません、あまい親で… それに、招待に応じてもらえると大紫とか野良犬とかがもらえると知って、ついわたしもむずむずと… まあ、もしご興味があればということで。 でも、けっこう面白いよ(笑) 昨日、王道という日記を書いたのですが、実は最初は「王道に近道なし」って書いてたのです。でもちょっと気になって調べたら、こういう言葉はないんだそうで、あれなにか変に覚えてるかな?と安易に「学問に王道なし」と直ました。が、あとで「あれ?なんかへんだな」と気づきまして…。で、調べ始めたらすごいことになっちゃいました(笑) まず、「王道に近道なし」っていうことわざは基本的にないそうです。 で、こういう造語(?)が出来たのは、「学問に王道なし」という似通ったことわざがあったからだと思われます。でこの言葉はの意味は「学問をするのに安易な方法はない」という意味で、こんな解説がついてました 「王道」は、安易な方法、楽な道。ユークリッドから幾何学を学んでいたエジプト王が、「もっと簡単に幾何学を学ぶ方法はないか」と尋ねたところ、「幾何学に王道なし」と答えたという故事による。 なるほどなるほど。 で、この王道ですが、ウィキペディアによると、 王の道(おうのみち、英語:Persian Royal Road)は、アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造された古代の公道である。宿駅が設けられ、守備隊が置かれていた。ダレイオスは、王都スーサからサルディスに至る、非常に広大な帝国の版図を通じて、迅速な交通と通信を容易にするためこの幹線道路を建設した。スーサから帝国遠隔の地のサルディスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができた。古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスは、「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記した。ヘロドトスは、「雨、雪、暑熱、夜の暗さであろうと、託された任務を伝達使が最高の速度で達成することを妨げることはできない」としてペルシアの使者を称賛した。この言葉は、今日、郵便配送者の非公式なモットーとして使用されている。 ふむふむ。ようするに「学問の習得の道は、たとえ王といえども『王道』のような楽で近い道を歩くことはできない。下々と同じように努力と忍耐で習得せねばならん」ということですね。 じゃ、わたしのあたまにのこってた「王道に近道なし」っていうのはなんなんでしょう? 上の解説だと「王道=近道」です(笑) どうやらこの「ことわざもどき」が気になっている人ってけっこういたみたいで、ネットでもひっかかってきました。この場合の「王道」は「孟子」のいう「王道」を指しているようです。これもウィキペディアから引用。 孟子は古今の君主を「王者」と「覇者」とに、そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると説いた。孟子によれば、覇者とは武力によって借り物の仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできない。対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる… つまり、孟子的「王道」は、力ずくでなく心底から人に慕われ敬われる行政ってことです。転じて「正攻法」という意味になる。 「王道に近道なし」は「学問に王道なし」と潜在的にリンクしているようで、学問や芸ごとに使いたくなるみたいで、ここで王道は「正しい学の仕方」みたいになるんですね。 「王道」の意味は違うのに、内容的には同じことを言おうとしているわけだ。 昨日の私の日記のタイトルは孟子的「王道」のことを言いたかったんだけど、まさか「王道」に洋の東西があるとは思いませんでした。無意識に「royal road」を「東洋的王道」にすりかえてしまって、こんなことわざが出来たんじゃないかなとか、いろいろ妄想しています。 …って、こんな日記に一時間以上かけてる私って…一体?(ちょっと自己嫌悪)