叔母のお見舞いに
叔母のお見舞いに、2週間ぶりに行って来ました。ブログの更新もできず、子どものインフルエンザ以降に自分も体調が悪くなり、風邪気味でした。私が少し良くなったかと思ったら、また昨日従妹からの電話があった。本当なら昨日病院へ行くつもりが、従妹との都合がつかず今日になりました。かなり危ないみたいです。初めてお医者さんの話も聞いてきました。脳梗塞かと思ったら、さにあらずで、痙攣による低酸素状態が続いたため、意識が低下しているのだろうとのこと。しかし痛みは分かるようで、声を上げたりはします。(言葉ではない)2週間前よりかなり悪くなっているようで、今日は導尿までされていました。(この状態に驚きましたが)お医者様からも「覚悟はしておいてください」とのこと。叔母の姉妹のこともあり、本当なら疲れているはずが、頭がさえて眠れません。(電話を聞いて母は怒っていましたが)主人は隣で風邪をひいて寝てはいますが。 長い間、親子離れて暮らしていた従妹にとっては、覚悟を迫られることは苦しいことに違いありません。母の年代はもう何があってもおかしくないのだと思うと、何か身につまされるものがあります。先の見えない看病をするのは辛いものです。意識のない叔母の上で、「お母ちゃん、お母ちゃん」と言って、「あれもこれもしてやりたかった」と言う従妹。自分と比較してはいけないのでしょうが、父を看取り、祖母も看取り、できる限りのことをして送り出してきた、子の心境とは違うのでしょう。私の父は肝硬変でなくなっています。が、肺もかなり悪くなり、東京の病院へ行ってみたり、特定疾患の指定病院まで同行し、最後は大阪市立大の病院まで紹介状持参で手術可能かどうか、と聞きに行ったり。あらゆる手を尽くしましたが、69歳で旅立ちました。人生は長さではない、と思います。きっと、その密度なのだと。 思えば、従妹は中学生の終わりから母親とは離れた生活をしています。だから余計、いろいろと思うことがあるのでしょう。母親のことも一人で看ています。余計に辛いものがあるのでしょう。私は妹たちもいるし、祖母の看病は従姉たちに本当に助けて貰いました。(父も悪かったので、母は父についていました)何もかも一人でしないと行けない、従妹は本当に気の毒です。少しでも力になれば、と思っていますが、、、、