可愛い女になれなくて
さりげなく話の中に、私と結婚したいという彼の意思を含ませている。結婚か。そういえば父も、最近孫が見たいなどと言うようになってきていた。俺が元気なうちに、リザの子どもが見たいものだ。伽と結婚していないのにそれは無理。それに伽の夢が叶わないと、結婚を許さないと言ったのは紛れも無くお父さんでしょう!父とのやり取りを、傍らで聞いていた母が、まあまあリザ!そんなに突っかからなくてもいいじゃないの!最近のお父さんはね、リザの幼い頃の写真を見ては、可愛かったななんて懐かしんでいるのよ。こらっ!!リザには内緒にしておけと言っただろ!ヾ(;´Д`●)ノぁゎゎ両親の微笑ましいやり取りに、クスクスと声を上げて笑う私。休みの日には必ず、両親の許に出向くようにしていた。介助をする母の負担も軽くなるし、少し身体が不自由になって、将来に不安を抱くようになった父を励ましたかったから。伽から逢いたいと連絡があっても、先に実家に行く予定を入れてしまっている時は、実家を優先した。伽には用事があるからとだけ伝えて。彼に、余計な気遣いをして欲しくなかったからだ。もしも両親の話をしたならば、伽の事だ、最後の乗艦勤務を拒否するかもしれないと考えた。陸に残る選択肢も無いわけではないが、今まで友情を育んできた瞑月や、兵役仲間達と海上での暮らしを思う存分、悔いの残らないように過ごして欲しかった。当分の間、彼には両親の事は話せない。隠しているみたいで心苦しいが、もう決めた事だ。何事かを考えているのだろう。少し俯き加減の彼女は、会話の途中で押し黙ったままだ。結婚式に監督を呼ぶって言った事、気に障ったのだろうか。リザ、すみません。結婚式の話なんてしちゃって。まだ兵役も終えていないのに、結婚なんてあり得ないですもんね。親父さんとの約束だってあるっていうのに。話の流れでつい、貴女とそうなれたら、恩師呼びたいって想っちゃったんです。すみませんでした。解ってる。少し困惑した様子で、顔を覗き込むようにして私に謝罪する彼。伽の言葉にただ一言だけ返答した。そっけないように彼には感じられるのだろう。すまない、やはり、恋が初めての女にはこんな時、どのような言葉で返事をしていいのかすら解らない。可愛げが無いように思うだろうな。自身に望むのは、もっと恋人に対して素直になりたい、ただそれだけなのに。軽く切なさを覚え彼の手を強く握り締めた。可愛い女になれなくてすまない。お前はストレートに、私に対し愛情を表現してくれるのに・・・力を込めて握りしめられた手の温かさに、貴女の想い解っているつもりです。ちょっぴり意地っ張りの強情な女性。俺がどれ程貴女の事を想っているか、知っていますか?照れくさくて、好きとなかなか言葉に出せないけれど、真剣にリザを想っています。伝わって欲しいと心で願いながら、少しずつ暮れていく港町を、無言のまま歩みを進める。あ、そうそう!jammin'Zeb(ジャミンゼブ)っていう男性四人組知っていますか? ふと思い出したかのように、唐突に彼が話しだした。jammin'ZebがMLB開幕戦でアメリカの国歌斉唱したんですよ!日本にある東京ドームで。2008リコーMLB開幕戦「レッドソックスvsアスレチックス」で国歌斉唱したんです。まだデビュー半年らしいんですけど、あのような大きい舞台で歌えるなんて凄いですよね!アルバム「Smile」出しているって聞いたんで、今度聴いてみて下さい。アカペラって新鮮ですね、人の声のハーモニーって、とても美しくて魅力的です。彼らはジャズ界の若き新星ですしね!まだ若いし歌もいいし、これから人気が出てくると想いますよ!それにその中の1人が、うちのバンドのボーカルSimonと同じ名前なんで、一方的に親しみ湧いちゃって!(´∀`*))ァ'`,、 俺もあんな大舞台で歌ってみたいです。ドームって残響が凄いんで、ライブには向かないって聞きますけどね。ジェネシスのライブも聴きに行きましたけど、やっぱり残響があって、席によっては音が遅れて聴こえるんですよ。そうなのか?私はライブってものにも一度も足を運んだ事が無い。それならば、jammin'Zebがライブをやるとき、一緒に聴きに行かないか?お前のお勧めならばいいグループなのだろうな。アカペラは好きだ。本当の実力が無いと歌えないからな。静かな言葉で呟くように話す。えぇ、jammin'Zebのライブ是非一緒に行きましょう!彼女の提案に即座に同意の言葉を掛ける。リザはピアノを習っていた為か音感がいい。瞑月のサプライズの時に彼女の歌声を聴いた俺は、綺麗なソプラノに聞き惚れてしまった。歌の上手い人っていいよな。自身も音楽に携わる世界を目指すのだから、パートナーが歌が上手いに越した事は無い。リザ、俺が書いた詩が完成したら、歌ってみてくれませんか。まだ音つけていないんですけど、いい詩が書けた気がするんです。別れた恋人との再会の歌なんですよ。艦に乗っている間寄港した際に書いたんですけど、俺の書く詩ってみんな恋愛ものばかりだって、カイルに笑われましたよ。伽はロマンティストだからな。現実的な私とは対照的だ。短く呟いた。お前のように何の計算も打算も無く、人を想えたならば幸せなのに。伽は人と接するのが大好きだ。私は違う。そう簡単に、人を信用出来ない疑り深い人間だ。長い事軍人をやっていると、本音は一切出せず不本意でも、階級が上の無能な上官命令を聞かねばならない立場。ましてや女の軍人だ。数え切れないほどのセクハラやパワハラを受ける。腸が煮えくり返るような思いだって、何度もしている。私が上を目指しているのは、無能な上官を超えてやりたいからだ。袖の下で上官になるのではなく、周りの人間から信任を得て偉くなりたい。その為に日々の勉強も欠かせないし、部下の育成にも全力を注ぐ。必ず影の自分の努力を、見てくれている人物がいると信じながら。世を変えようと思っても、トップが無能なら意味が無い。軍も同じだ。組織を変えるために、必ず女性軍人としての最高位を目指したい。それが私の夢。伽も地味に影で努力を重ねているのだろう。目指す道は異なっても、互いの夢を叶える為に日々精進していこうな。最高位に登りつめた時、傍らに寄り添ってくれているのが、伽、お前であって欲しいんだから。街灯の暗い路地に入りリザが歩みを止めた。魅力的な大きな瞳で俺の顔をじっと見つめる。彼女が何を望んでいるか察して、肩を抱き寄せくちづけを交わす。小さなキスが、次第に舌を絡めた深いキスに変わる。しかも彼女からなんて、こんな事初めてだ。少しの驚きと更なる愛しさが心を支配して、このまま、近くのホテルに連れて行ってしまおうかと思ったくらいだ。事務所を離れるのに許可を貰った時間は一時間。もう約束の一時間は、10分ほどしか残されていなかった。唇を解放し彼女を見つめる。瞼を閉じたままの彼女はゆっくりと瞼を開いて2、3度瞬きをした後、再び俺の顔を見て、一週間後この場所で逢えるか?久しぶりに長い時間、お前と一緒に過ごしたい。ストレートな誘いに嬉しくなって、もちろんです。部屋予約していいですか。耳元で静かに囁いて細い体を抱き寄せた。彼女は俺の腕の中で、無言のまま意を示し首を縦に振った。