最初で最後のJR富山港線
仕事から帰ってから行って来ました。親子3人で。今日でJR西日本での営業を終了する富山港線に乗ってきました。富山港線には幼い頃に、もちろんJRではなく国鉄の頃富山駅-富山口駅の1区間だけ乗った記憶がかすかにあります。せっかくなので最終日に乗ろう!と思い立ったのが昨夜でした。ちょうど帰宅した旦那も富山港線は乗ったことがないというので一緒にGo!富山駅まで車で行き、富山駅から富山港線に乗ることにしました。で、切符を買おうと券売機の上の価格を調べてみようとしたらあれぇ?「岩瀬浜」の表記がない!!!なんでやねん?もう看板取り替えたの??券売機横にある点字用の一覧にも無い!旦那がガイジンさん用の英語の一覧でIwasehamaの文字を発見。200円でしたー。最終列車にはまだ2時間程あるものの、7番ホームには鉄ちゃん(鉄道マニア)をはじめ名残を惜しむ私らのような親子連れ、報道陣などがいっぱいいました。ラストランの出発&到着式に立ち会うつもりの人もいるのだろと思います。★ラストラン出発&到着式準備中の7,8番ホーム★富山駅を19:13に出て、岩瀬浜駅を19:41着。ホントは最終列車に乗りたかったけど、火曜日だし帰るのが遅くなると娘が寝るのも遅くなるしね...。距離約8kmしかないので、万葉線よりも短いです。夜なので車窓を楽しむってほどじゃないけど、見慣れない景色と時々車で通る踏み切りの場所などを「ここか~」と旦那と納得していました。岩瀬浜駅で一旦降りるとJR職員さんから記念乗車証をいただきました。今日はそれぞれの駅で降りる時に貰えたようです。今日しか貰えないようで今日の日付が印字されていました。岩瀬浜駅で下車した人の半分以上が再び折り返しの電車に乗ったんじゃないかな。停車時間が8分しかないのに、帰りの切符を券売機で買う人の行列。社内で車掌から買うこともできるけど、やはり「岩瀬浜」の印字のある切符を購入することに意味があるのでしょう。車掌さんの「あと1分ほどで出ますよ~」という声。旦那が駅舎の外へ出てトイレに行ってしまったので間に合うかどうかドキドキ。...結局は券売機に並んでいた人も多かったので少し出発は遅れた模様。まぁローカル線だもん、多少の遅れは影響ないというか、ご愛嬌。帰りの社内では車両の車体番号を撮影している鉄ちゃんがいました。途中、弟1号にメールしたら、弟1号も2本前?の富山港線に乗っていたそーで更にはススム(従弟)親子、ゆーぞー伯父+伯父の孫に会ったとか。私の母の兄弟(伯父4人)と祖父、従兄は「国鉄マン」だったのでその頃にテレビ番組に「国鉄一家」として出たくらいです。弟1号もモロにその血を受け継ぎ、JRの運転士になりました。私も最終日にわざわざ乗りに行こうと思うってことは、しっかりその血を受け継いでるからなのかな~としみじみ。更には富山駅に戻る途中、2つ手前の下奥井駅に停車し、窓の外を眺めているとカメラを構える人の姿がみえました。「あ~、こんなところにも鉄ちゃんがいるんだな~」と思って見ていたらぬぁんとゆーぞー伯父じゃあーりませんか!!思わず車窓をバンバン叩いちゃいました。伯父は私たちに気付いてくれてました。ん~っ、恐るべしS家一族。★富山駅に戻ってから記念撮影 ヘッドマークの文字はいいとも!に出てる森大衛先生★鉄ちゃん達(自分も含まれる!?)はちょっとした看板類も見逃さず撮影。★この行き先表示も...★★この地下通路の看板も無くなるのね★★記念乗車証と、富山と岩瀬浜駅発の切符★富山駅で降りるて改札を通る時には、岩瀬浜駅で買った切符を回収せず「乗車記念/使用済」と赤いスタンプを押して返して下さいました。駅員さんはスタンプが傾かないように慎重に押して下さってました。富山駅の北口の前には、ライトレールの為の軌道がいくらか出来ていました。しばらく来ないうちに北口の風景が変わってました。私が幼い頃、S53年3月だったと思います。地元を走っていた射水線(新港東口-新富山)が廃線になりました。その時のことを思い出すな~。P.S.今、チューリップテレビの「ニュース深夜便」を見たけどラストランのイベントはすごい人だったみたいですねー。ホームがぐちゃぐちゃな様子でした。