あれから1年。
3.11の大震災から一年。1年前の14:46は職場にいて、帰る準備をしていた頃に隣の席の人が地震を感じ、その後にはゆっくりゆっくり弱いけど長い揺れが続いたのを覚えています。16時前には帰宅していたので、TVで津波に破壊されていく生々しい東北沿岸地域の様子を、ただじっと見ていました。その後1,2か月は、通勤時はNHKのラジオを聴いていました。プロのアナウンサーが、泣きながらニュース原稿を読むのを何度も耳にし、私も目頭を熱くしながら運転していました。時々TVから流れる緊急地震速報を見るたびに「また?どうしてこんなことに...!?」と何度思ったことか。石巻へは学生時代に行ったことがあります。高専の同窓生には東北出身者がたくさんいます。彼らや、彼らの家族、実家や自宅はどうだったんだろうかと気になりました。幸い、直接的な親戚や知人に大きな影響はなかったです。関東の計画停電はある種、大きな影響ではありますが。地震災害が少ない富山ではあるけど、もし大津波が来たら海から直線距離で1kmも離れてないのでオシマイ。実家は更に海に近いです。津波から逃れられるような高台もありません。今月に入り、市が市内の至る所に、海抜を表示した看板を取り付けました。タクミが通う保育園の玄関にも貼ってあります。ミサトの通う小学校にも貼ってあるはずです。小学校近くの電柱にも貼ってあります。とりあえずは、ウチの近所は海抜1.6~1.8mのようです。昨夜から子どもらは実家に泊まりました。実家の向かいにある神社前の電柱にも海抜表示が。あれ?ウチより高いやん!ってのが正直な感想。とはいえ、たった2.6m。大津波が来たらオシマイ。というより、佐渡で震度5を超えたって、富山では震度1~2程度にしかならないので、大津波なんてそう簡単には来ない!と今でも勝手に思っている自分がいます。災害への備えとして、大震災後用意したのは水、リッツとビスコ缶、モバイルブースター(充電池)ぐらい。考え直さないとイケマセンね。今日は子どもらがいなかったので、出かけようかと思っていました。でも、当時のYoutubeを見たり追悼式典を見ていたら、出かける気にはなれませんでした。大震災によって、命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りいたします...。