半世紀前の日記
「二十歳の原点」の高野悦子の日記。1962年1月から日記を書き始め「小百合」と日記に名前をつける。これを読んだのは、昭和54年である。明るさから、ニヒリズムへと変化。「独りであること、未熟であること、 これが私の二十歳の原点である。」 ・1969年6月24日未明、鉄道自殺「二十歳のエチュード」は原口統三の小さな3つのノートに記されていた繰り言。私には難しく、理解に困難な箇所もある。芸術家の気質が、なお文章を難解にさせている。しかしシニカルで、読む人を自己投影させてしまう。「表現は所詮自己を許容する量の多少のあらわれにすぎぬ」「誠実さは常に全き孤独の中にある」 この箴言の前に、謙虚であろう。 それはこのエチュードを止めて抛り出すことだ。 そして、僕を含めてすべての人に貼り付けていたレッテルを はがしてしまうことだ。 僕はもう自分を誠実であったと言うまい。沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。「僕は最後まで誠実でなかった」と。 1946.10.1 赤城山にて・1946年10月25日深夜、入水自殺 19歳10ヶ月Dear Kitty,(親愛なるキティ)の呼びかけで始まるアンネの日記。1929年6月12日に生まれて、将来への夢、友情、恋が、ホロコースト(ユダヤ人に対する大虐殺)な状況で、「隠れ家の中で」記されている。はじめは、同性に対するあからさまな感情や、異性からの賛美が記されている。それが、ある時期から、叙情的に自己を記すようになる。1944年4月5日「・・・・・周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること! ・・・・・ 書いていさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が湧いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにかりっぱなものが書けるでしょうか。いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしょうか。 そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことによって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。」・1945年3月1日強制収容所で病死※スウェーデンのディトライブ・フェルデラー(Ditlieb Felderer)とフランスのロベール・フォーリソン(Robert Faurisson)によってまとめられた証拠は、この有名なアンネの日記が捏造文書であることを最終的に確定した。※1958年に始まったローラー・スティーロの裁判でアンネの筆跡鑑定が行われて日記が本物だと認定された。アンネの日記増補新訂版―2種類の「アンネの日記」の存在。その2つを編集した完全本。アンネの童話書き遺していた童話とエッセイ自己を記している日記には、漱石などもいるが、高野悦子や原口統三は、自殺。「孤独」という言葉やニュアンスが受け取られる。予期せぬうちに孤独になったのが高野悦子。孤独、マゾヒズムを自らレッテルに使用したのは原口統三。アンネ・フランクは病死である。15歳だった。なんて「生」に溢れている日記なのだろう。アンネ・フランクの文脈は。やはり「生きる」という情熱がそこにある。「そうなりたい。ぜひそうなりたい。」アンネ・フランクの言葉がいまでも聞こえるではないか。「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」それは「それでも人生にYESと言う 」の著者V.E.フランクルと交差する。