感謝の根っこ
ドロシーが不登校だった5年生の時、養護の先生はドロシーを特別扱いすることはなく、放っておく先生でした。当時の私は、「なんて可哀そうなことするんだろう・・・ もう少し声をかけてくれればいいのに・・ 冷たい先生!あれは使えないわ!」なんて言っていたのでした だから保健室には行かせずに、週2日だけ外部からくる、SCさんが、頼みの綱でした。今思うと、本当に非常識な親だったなと思います。 担任に対しても、もう少し連絡をくれるとか、来るとかしてくれてもいいんじゃない?等と思ったり、何で今のドロシーにそんなこと言うのよ!とか思ったりしました。 一度、担任が相談室にドロシーを迎えに来て、教室に連れて行ったことがあったのですが、帰ってきたドロシーが、「嫌だったもう相談室にも行きたくない」と泣いたので、なんてことをしてくれたんだ!と思い腹を立て、SCさんに「もう二度とこのようなことがないようにSCさんから担任に言って下さいますか?」と言ったこともありました。担任はその夜、「デリカシーのないことをして申し訳ありませんでした」と謝りにみえました。その時の私は、無表情であしらうような態度をした記憶があります。 今思うと本当に「感謝の根っこがないお母さん」だったなと思います。それが「母親の法律」に出会って、自分がどれほど非常識で、感謝の根っこがない母親だったかに気づきました。そんな私だから、今の娘の姿があるのだということにも気づきました。 本当に本当に、心底反省し、私は変わっていきました。 私は、先生方に対して、腰の低い親になりました。お会いする度、電話でお話しする度、「私の子育てがまずく、甘やかして育ててしまったばっかりに、 ご迷惑をおかけしてすみません。 本当にありがとうございます」と、頭を下げる親になりました。 先生の仕事は、学校に頑張って登校してくる子どもたちに、 勉強や、集団生活のルール等を教えること。不登校の子やその親のケアをすることが仕事ではないのですよね。それなのに、何かお願いすればやって下さったり、気にかけて下さって、電話を下さったり、子どもに声かけをして下さったりする。これは本当に感謝すべきことで、いくら頭を下げても足らないほどのことだと思うようになりました。 クラスに1人不登校児が出るということ、それによって先生の仕事は本当に大変なものになると思います。不登校の子の保護者との連絡や相談、家庭訪問、関連教育機関との相談や訪問、教育委員会への報告書の作成、学校内の会議への参加及びそのための資料作成、場合によっては、クラスの保護者への説明などを求められるでしょう。 それ以外にも、学校内での公務分担、地区の教科研究委員会、中学校であれば、部活の分担、部活指導や大会への引率もあります。校内校外の行事の参加や準備、研究授業を初めとした研修、担任としての莫大な量の事務手続き、寝ても覚めても、期日厳守の書類の山・・・もちろん、日々の授業があります。 問題を起こしがちな生徒の親にかぎって、学校に任せきりで、いざ問題が起きれば、逆切れしてウチの子は悪くないと言い張る。親が先生をまるで「何でも屋」のように扱い、本分であるはずの「授業」に使うパワーまで、奪ってしまう・・・ 私が常に、謝りと感謝の気持ちで先生方と接するようになったら、不思議なことに(今思うと不思議ではないのですが)何と言うか、ある時、風向きが変わるというか、 良い方向に流れていくのを感じました。 そこからは本当にとんとん拍子のように、進んでいきました。それまでどこか、自分で何とかしようと意固地になっていたようだった担任も、私がローラの担任に相談したりすることも気持ちよく受け入れて下さるようになり、ローラの担任やSC、養護教諭等とも、密に連絡を取り合って下さるようになりました。 ローラの担任が、「S先生(ドロシーの担任)、頑張ってるよ~ 僕に毎日状況を報告してくれて、 どうすればいいですか、こうしたらまずいですかねと、 必死になって相談してきて、 僕がこうした方がいいと言うと、 はい、わかりました!と素直に動いてくれてるんだよ。 お母さん、心強いね~、ドロシーちゃんは大丈夫だよ」と言ってくれました。 養護の先生にも、私は「甘やかして育ててしまい、ご迷惑をおかけしてすみません。 いつもありがとうございます」と、保健室に頭を下げに行きました。それからは、いつも優しく声をかけて下さるようになり、「ああ、この先生、本当はこんなに良い先生だったんだな~ すべては私だったんだなぁ・・・」と思いました。 私があのまま、非常識な親でいたらどうでしょう・・おそらく今も、ドロシーは学校に行っていなかっただろうなと思います。いいえ、ウチの場合はそれどころではなかったでしょう・・・ 本当に気づけたことに感謝です。 不登校を克服したお母さん方は皆さん、「感謝の根っこ」が太く深く張られています。何を見ても聞いても、「感謝感謝」と手を合わせるようなお母さんばかりです。そんなお母さん方とお近づきになれて、日々、お話しさせて頂ける日々は、本当にありがたく、幸せで、まさに「感謝感謝」の日々なのです。