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マックの文弊録

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2007.02.24
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カテゴリ:B~C級グルメ
◇ 2月24日(土曜日) 旧睦月七日、己丑、旧七草、上弦の月。

食は毒でもある。
実は前の週末以来、酷い風邪にやられての実感である。

先ず定番どおりに悪寒から始まった風邪は、発熱、倦怠感の増進と悪化し、二日目にはもう枕が上がらなくなってしまった。無論運動機能に障害があるわけではないから、起き上がって歩くことも出来るが、持続性が全く無くなり、無理をすれば覿面に体調に跳ね返って、熱が更に上がり病状が酷くなってしまう。その内咳も出るようになって、確実ではないが潜血反応も出ていたようにも思う。
とにかく三日間は、殆ど「死んだような」状態だった。

部屋の戸や窓を全て閉め切って、二六時中ファンヒーターを回し続け(テレビの音を絞って寝ていたら、時々東京ガスの回し者が出てきて小声で叱られたから、換気には否応無く注意させられた)、ポットの蓋を開放して湿気を立て、薬を飲み、ただひたすら寝ていた。普段からすれば異常と言えるほどの長時間を眠って過ごしたのだ。
四日目に入ると薬を服用した後で発汗するようになった。それまでは汗腺が閉塞したような気分で汗も出なかったのだ。一旦出始めると、汗はどんどん出る。「これは直り始めたぞ!」と嬉しかった。汗をだらだら流しながら喜ぶなんて、マラソンで無事ゴールできた刹那か、風邪を引いた時くらいしかない。
五日目になってかなり回復したものの、翌日又一時的に高熱を発した。しかしその後は順調に復調し始め、現在は咳だけが残っている。

まるまる一週間は風邪に全面降伏状態にあったことになるが、こんなに長く世間から物理的に遠ざかっていたのは初めてである。しかし、携帯電話とインターネットのお蔭で、人様に風邪をお裾分けする憂い無しに、肝要な部分では色々「動く」事ができたのは、全く文明の利器のご利益である。

この間、自分の食の嗜好は大幅に変化したのには驚いた。
先ず風邪の初期には、全く食欲が無くなった。寝てばかりいるからといって、体は色々な分野でエネルギーは消費しているから腹は減る。脳は間歇的に空腹感を伝えてくるが、「あれを食べな」とは一向にアドバイスしてくれない。それで結局二日半、口を通過したのは水やお茶と薬だけで、それ以外の固形物には縁がなかった。欲しいとも思わなかった。

三日目になって、これでは体が持たないぞという「理」の声が勝った。家人がお粥を作ったというので、相変わらず食欲は無かったけれど、ありがたくいただくこととした。ところが舌が調味料を受け付けない。僕は普段もお粥は嫌いではなくて、時々作ったりもする。薄味ではあるけれど、出汁や醤油で味を付ける。熱々のところに卵を割りほぐして「卵かけお粥」としていただくこともある。今回も半ば習慣で醤油を垂らしたのだが、これがもう駄目である。不味いというより異様な味がするのだ。醤油の香りも、むっとくる。
結局白粥に取り替えて、細切りの夷布(えびすめ)を少し散らしただけで、なんとか茶碗六分目のお粥をいただくことが出来た。

この状態は五日目一杯まで続いた。六日目になって、錦糸卵(味付けなし)や、寿司海老(生ではなく茹でて開いたもの)に醤油を垂らして、粥に添えていただいても「平気」になった。
所謂獣肉などや油モノには一向に食指が動かなかった。要するに、味の濃いもの、油モノ、獣肉など、僕が普段むしろ好きなものが押しなべてダメなのだ。その代わり、果物や、酢の物、そして果物などは比較的病気の早い頃から食べられるようになったし、食べたいとも思った。可笑しかったのは、左党の僕としては、普段は馬鹿にして食べない甘いものを食べたいと思うようになったことだ。とは言えショートケーキや、チョコレートケーキなどはやはりダメで、ごく単純なスポンジケーキやメープルラウンドなどに、「こんなに美味しかったのか!」と感動した。

風邪のような、特定の何処が悪いともいえない病にやられて、衰弱した状態では、我々の体はどんどん本来の動物に戻っていくように思う。
そうなると、凝った調味料や化学調味料、複雑なソースなどはダメになる。加工度の低い、原始日本人としてご先祖が普通に召し上がっていたもので、しかも内臓に負担をかけない消化の良いものしか受け付けなくなる。いわば、「縄文・弥生食」。つまり、先祖がえりである。そうだと思う。

病院食は不味いというのは健常人の偏見であって、僕はかつて暫く入院した時には大変美味しくいただいた。毎日三度三度時間通りに配膳していただける。そして出てくるものは、今思えば上記の法則にちゃんと沿っているようだ。病んでいても空腹感はあるから、空腹感も優れた自然の調味料である。また、折角我口中にご到来願った食材には、なるべく長く逗留いただけるように、時間をかけ丁寧に何度もかみ締めることになる。何といっても病院食は、よほど空腹でもお代わりは出来ないのだ。
酒を飲みながら、だらだら食べ続けるなど論外だ。他の患者の方々とほぼ前後して食べ終える必要もある。但しこれは病院の強制でなく、いうならば自発的同調性の発露である。
こういう生活を送って暫くすると、実感として体の中に停滞していた毒素が、徐々に体外に抜けて行くような気持ちになってくる。体は到来の食物から滋養分を吸収しつくそうと努めるから、大量の「う×こ」を排泄する快感など、過日の別世界での良い思い出になってしまう。

そう、要するに普段我々が、当たり前に食しているものは、「毒」を含んでいるのである。特にグルメだとかヘルシーだとか、能書きが付くものには毒が多そうだ。考えてみればわざわざ大枚を費やして、より高濃縮の毒を求めるのだからおかしな話である。

しかし、やはりそれでも「毒」は美味しいのだ!
少しずつ体調が復して来ると、あれほど美味しく慈しみすら感じて、それまでの食生活をこの機に改めようとまで、決心しかかっていた「縄文・弥生食」も魅力を失い始めた。そして、次第に味の濃い、複雑なものを食べたいと思い始めた。とはいえ、未だ炊き込みご飯や、茶碗蒸しの程度だが、それでも病のピークの時には、茶碗蒸しだって食べたいとは露ほども思わなかった。ましてや炊き込みご飯においてをやである。

そうなると、今回のように拘束されざる身としては、どうしても欲求に屈してしまう。
こうして我が身もまた、動物としての感覚の鋭敏さや、ナイーブさを再び失い、徐々に鈍磨し、麻痺しながら、雑菌と毒と魑魅魍魎に満ちた人間の現実と云うものに戻っていくことになる。

東北地方出身の新進の作家である伊坂幸太郎君の最新の短編集、「フィッシュストーリー」の中に、「人間の悪いところは、動物にないところ全てである」という言葉があった。まことにその通り。
わざとやってみるのは、中々お勧めしないが、時にこうして風邪でも引いて、先祖がえりしてみるのは大いに貴重な体験になると思う。

若し上の仮説が正しいとするのなら、「病院食体験コース」というのを有料で開設し、希望者には最低でも一週間、あたかも入院しているのと同じ条件の管理下で暮らさせてみるのはどうだろう。結構なビジネスになるかも知れない。なにしろ、これは単なるダイエットを遥かに凌駕すると思う。そのためには、需要調査と併行して、例えば刑務所の入所時と出所時における身体に関する各数値を調べ(多分皆以前より健康になって出てくるはずだ)、根拠資料として整備しておくのが良いだろう。

こんなことを考え始めたのは、昔なじみの「毒」が僕のところにどんどん戻ってきているせいだと思う。
面白いことに、この一週間体重は殆ど見るべき変化を示していないのに、体脂肪率は時に10ポイントも乱高下したことである。これは何故だか、未だちゃんと考えていない。





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最終更新日  2007.02.25 23:09:07
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