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夢みるきのこ

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2015年10月30日
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    大竹・生玉・きEこ鍋 (8).JPG

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 蕪村の生涯をつまみ食いしていて、彼とその師の宋阿(巴人)が敬愛した江戸座俳諧の祖・其角も舌を巻いた西鶴のことがとみに気がかりになり、調べてみれば不明なことばかり。明治以来、江戸期は恥の文化として遠ざけられてきただけあって、とりわけ庶民文芸の俳諧師などは一顧だにされなかったことがみえてくる。

 そうなれば、僕の腹の虫が目を覚ましてしきりに「この人達に少しでも光を当てずに何がきのこぞ」と地球最底辺の生き物の全権大使のきのこたちからうるさくせっつかされている。

 蕪村の江戸から結城時代に交渉のあった江戸座の俳諧師たちとて、素性がほとんど知れずに終わってしまっているのは、なんとも痛々しい。しかし、彼ら当時世界最大の都市であった花の都でいやしくも俳諧をやるということは如何に粋な人生を貫くかということだったので、「おのれの人生がどうのこうのなんてしみったれたことは言うな」という気概に満ちていたから当然と言えば当然である。

 蕪村は青年・壮年期のほとんどをこの江戸座俳諧の空気を胸一杯に吸いながら生きたので、彼の俳諧に対する態度は終生、芭蕉を含めて田舎者俳諧の流れと、其角西鶴をはじめとする江戸座、阿蘭陀流俳諧の流れとの間で引き裂かれながら俳諧師としての独自性を模索していった人だ。

 「夜の顔不思議な俳句会」は、そうした蕪村のような独自の世界をめざし、自身にふさわしい言葉選びと、自身に固有な表現様式をつかみとり、正統(芭蕉風)と異端(其角風)、今の言葉に換言すれば、伝統俳句の流れと自由詩を含む非伝統詩の流れを双方見極めながら、双方のいずれの世界にも偏らず、そしてなるべく短い言葉で、詩をつくるための合評会だ。

 メンバーは、当然俳句の基本、句づくりの骨法をそれぞれが熟知して、手だれのおっさんたちの季重なりとか字余り字足らずとかいうしか能のない人たちからの批判を跳ね返すパワーを持たねばならない。

 それぞれに百流ある伝統、非伝統を標榜する短詩の世界は有季定型を守るとか守らないとかいうレベルの対立ではまったくない。

 それは何が粋で何が無粋かということを知り尽くした都会派の人間と骨の髄まで田舎っぺの人間との生き方の違いなのだ。

 都会派の俳句作家の栄光と悲惨は、その究極の形が尾崎放哉、種田山頭火、井上井月など。とことん自由を求め、一切を放下した生き方を選んだ。が、当然はた目には生活破綻者と映ってきた手合いだ。

 しかし、其角をはじめ江戸座の俳諧師は、そのほとんどが刹那的な人生を享受しつくし、「立つ鳥跡を濁さず」の伝そのままに、己の生を蕩尽しつくして果てたのでその伝記的な記録を辿れないのももっともなところがある。

 そして、伝統俳句につらなる人たちといえば、花鳥諷詠の総家元的存在の虚子に連なるホトトギスに基本的にはとことん依存しながら、俺らは花鳥諷詠ではないとかあるとか、エコールを形成できるほどの大した差異は無いところで、互いに小馬鹿にしあって、小さく小さくまとまってお山の大将となりたい廃人たちで満ち満ちている。

   これらの人たちの利点は、小さいながらも幸せな家庭めいた世界を築きあげることができる。そしてNHK受信料を払うことには何の疑問も感じず、むしろ市民の当然の義務と考え、マイナンバー制度に登録されることを名誉にすら感じるような立派な市井人なのだ。

 私はそのいずれもが駄目だと言うのではない。それこそそれぞれの自由だからだ。お勉強したいがやったこともないので方法が分からん者たちを集めて季重なりや定型厳守、切れ字の効用などをしたり顔して教えて小銭をかき集めるのも決して悪くはない。

 これは実業、虚業に関わりなく、どの世界にでもいえることだ。それぞれ飯を食っていかねばならないのだから、聖人面してやり通せるものではないからだ。

 ただ、さっきいった都会派・田舎派といった局面でのおのれの生き方を問う場合は、壱分の妥協もしてはならない。これは根源的な生き方の問題だからだ。野性生物と家畜の違いと言えばもっとわかりやすいかな。

 そんな意味で難波の西鶴、江戸の其角は最高の人生を送ったと僕には思える。

 蕪村はどう逆立ちしてもこの両名には勝てないと踏んでいたから、夜半亭第二世宗匠を継承するのを辞退しつづけた。彼が宗匠を引き受けたのは、売画生活で細々とでも食いつなげるメドがたったからこそだった。

 したがって彼の俳諧宗匠生活は、最後まで当時の点取り俳諧宗匠とは似ても似つかぬものだった。蕪村は終生これら東西両雄の俳諧師の間で葛藤しながら生き抜いたことは覚えておいてほしい。

 宗匠時代に入って、芭蕉回帰の運動に参加しながらも彼が、口ほどには動くことなく、さほど積極的でなかったのにはそうした理由があった。

 そんな彼は、晩年に至ってようやく全く独自の境地を自分の俳諧世界で切り拓くことに成功する。しかし、それは世間一般からも、門人たちからも不評に終わってしまったが・・・。誰も蕪村の矛盾した生活の底に淀川のように滔々と流れる精神を理解できなかったのだ。呉春描く蕪村の肖像画の眼光の鋭さは決して好々爺のそれではない。

 僕はそんなアンビバレントな生を生き抜いた矛盾だらけの最下層庶民としての蕪村を愛する。

 さて、今日のムックきのこ流のきのこポエムレッスンは、といえば「シティボーイvsカントリーボーイの短詩形文学論」ということになるかな?。

 このことは家元俳句を無自覚に目指す人たちはゆめ忘れるなよ!!ということで、お粗末さん。

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 紫苑と思えば野紺菊(ノコンギク)。この紫苑に似た花の真贋(しんがん)のほどは、キノコほど難しくはないが、やはり違いがわからないことには、新しいものは生み出せない。それと同じことが「ちょっと背伸び」の世界にも言えることのようだ。

 青年よ見果てぬ夢(IMPOSSIBLE DREAM)を抱け。そして常に学べよ。ということに尽きますな。






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最終更新日  2015年10月30日 17時37分16秒
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