僕は暇ではないです
たまには真面目な話題も書いてみよう。次書くのはいつになるかわかりません。「柳沢大臣罷免しろ、罷免しなきゃ審議に応じないぞ」という野党の主張がありますが、何かひっかかる。いろいろ考えて、たぶんこれかなと思ったのが、野党の主張のメディアへの映り方です。今回のようなケースでは内在的問題になってしまう面もあるでしょうが、「厚生大臣としての適格がない」「女性を蔑視するものだ」等々、基本的に感情論先行型の主張なんですよね。一般に感情に訴える主張というのはメディア向きであるとされていると思いますが、ただ、今本当にそうなのかな、という点がひっかかります。今回の野党の主張の念頭に、参院選があるのは言うまでもないと思いますが、参院選で本当に勝とうと思うなら、いわゆる無党派層の流動的な票を取らないといけないでしょう。で、この無党派層の投票行動は、選挙のたびに変化しうるわけですが、それは純粋にそのときの気分でコロコロかえるということはほとんどなくて、1回ごとの選挙においてその政党の主張に最も説得力を感じた・この候補者に最も共感した等、何か外部的な情報に基づいて行動した結果だと思うんですね。これをメディア戦略という観点から捉えたときに、今回のような野党の主張が無党派層に対して有効なメディア戦略になるのか、そういう無党派層の人たちが今回の野党の主張ぶりどう見るのか、それがよく分かりません。(もちろん今回の問題が参院選での投票行動に直結するとはとても思いませんが、ぼんやりとイメージとして残るボディーブローの効果はあるんじゃないかと思います)個人的には、やらせ問題よろしく、無党派層(に限らず一般の人も)の見る目が厳しくなっていると思うので、単純な感情論先行型の主張は野党側にとって、かえってマイナスに働くのではないかと思うのですが。言ってしまえば罷免という結果が取れれば参院選に有利になる、そのためにはとにかく審議拒否して感情に訴える戦略をとる―「せこいやり方だな」、「またか」と無党派層の目に映っていないのかなと思うのです。もしそのように映っているとすれば、野党の戦略は合理的でない戦略だなと思うのですが、はたしてそのように映っているのか、今回の戦略が合理的なのかそうでないのか、そこがよくわかりません。(街角インタビューを受けるとある女性のニュース映像で「今回の発言は厚生大臣の立場ということを考えればダメだと思うんですけれど、もう別にいいんじゃないですかね」という発言が展開されるのがごく自然な流れだと考えられるイントネーションでしゃべってたんですが、「ダメだと思うんです」のところでブチっと切っているとしか感じられない映像がありました。「け」って言おうとしている口の映像は映っていました。いろんな人にインタビューしてるだろうに、そんな映像であっても編集して使わざるを得ないって事は、たいがいの一般人が感じているのは・・・と考えてしまいます)というか、某あるある事件(「問題」とは書かないことにしよう)をどう評価するかということにも関わるんですが、一般人のメディアに対する目がどのようなものであるかという情報自体が、メディアを通じてしか伝わってこないので、どうしようもないわけですね。統計分析した社会科学論文を読むのか、今回の問題について論じるブログを逐一読んでみるのか(としてももはやブログにさえも沈黙の螺旋仮説的なものがありそうな気がしますが)、どうしたらいいものやら。どうもそこらへんがひっかかります。まあメディアだけの問題でもないでしょうが。