タライへの旅 その2・プジャ
びっくりどっきりのハイウェイは、だんだんと急カーブが少なくなり、まわりの景色も平坦な林に変わってきました。しばらくすると前方で、バスやトラックの列がずっと続いているのが見えてきました。 チェックポイントがあるのです。マオイストも多いこのあたり、チェックも厳しくなっているようで、渋滞になっているのです。そして、そんな渋滞のドライバーやバスのお客相手にちゃっかり商売してる人たちが道路脇にたくさんいます。焼きとうもろこし、カンクロ(ネパールの巨大きゅうり)、スンタラ(ミカン)、ココナッツやミネラルウォーター。皆、頭に乗せて車の窓際まで売りに来ます。 私は、ネパールの焼きとうもろこし、大好きです。日本の甘いとうもろこしと違って、子供の頃に食べた懐かしい味でとっても美味しいんです。さて、そのチェックポイントでは、かなりチェックが厳しく、アーミーが何処へ何をしに行くのかをドライバーに質問し、さらに身分証明書の提示も求められました。 そしてなぜかドライバー以外の男性だけ車を降りて、歩いてチェックポイントを通過しなければなりませんでした。なぜ、男だけなんでしょうね。まあ子連れだし外人の私も乗ってるし大丈夫ってことなんでしょうか?そんなチェックポイントがバラガートに着くまでに全部で3ヶ所ありました。そしてナラヤンガートを過ぎるとますます景色は平原らしくなってきました。急な坂道の多い標高1400mのカトマンドゥでは、市民の足はもっぱらバイクやスクーターで、自転車は少数派です。ですが、このあたりまで来ると、自転車に乗る人をたくさん見かけます。 それも、カトマンドゥではさらに少数派のママチャリがたくさん走ってます(カトマンドゥでよく見かけるインド製のでっかい男性用?自転車ではなく、ほんとのママチャリなんです)。そしてそして、カトマンドゥでは絶対見られない光景、サリー姿でママチャリをこぐオネーサンたち。さすが平原です。 雨が降らない今。こんな干上がった川がいくつもありました。そんな光景を見ながら、私たちを乗せた車はハイウェイから外れ、乾燥した道をもうもうと土煙りを上げながら進んで行きます。そして午後1時過ぎ、やっとビナジューの工場にたどり着きました。朝6時に出発してから約7時間の道のりでした。6年前にダンナと来た時は、ちょうど最盛期で大きな機械で絞ったサトウキビのジュースを地面の下に掘られたレンガ造りの竈に大鍋を乗せてぐらぐらと煮詰めて作っていましたが、今工場は閉鎖中です。工場といっても、手作業の部分が多かったのですが、今回ビナジューが造ろうとしているのは、コンピュータ制御の最新式の設備だそうです。 工場建設予定地大好きな肝っ玉かあさん、ディディはプジャ(儀式)に来てくれた人たちに出す料理作りに大忙しでしたが、久しぶりの再開を私たちは喜びあいました。ダンナがいない今、私は、カトマンドゥにディディがいないと本当に心細いのです。ところで、その食事を期待してか、皆、途中のドライブインでは、軽くプリ1,2枚とジャガイモのアチャールしか食べませんでした。もうみんなお腹ぺこぺこです。大忙しのディディには悪いけど、早く食べさせて~ってみんなグッタリでした。だって、1時過ぎに着いて結局食事できたのは3時近くだったんですもん。私達が食べてる途中に、もう儀式は始まっていました。急いで見に行くと、広大な工場建設予定地の一角に、なんとなんと大きな長方形の穴が掘られ、平らに均され所々地下水が浸み出してるその穴の底にディディ達はいたのです。よく分かりませんが、深さも3mくらいでしょうか。そんな遺跡発掘現場のような穴の底でプジャが執り行われていました。 穴の底には上の写真のようにいろいろな供物が置かれ、グル(ヒンドゥーのお坊さん?)の指示にしたがってビナジュとディディがお祈りしています。そして、工事に使うレンガをお祈りしなから卍を表すような形に並べた真ん中に、上に卍を描いた丸石とお米、花などを置き、水を振りかけ、その上からセメントで正方形のケーキみたいに塗り込められていきました。下の写真がその時の様子です。 そしてプジャもほぼ終わりに近づいたので、カトマンドゥ組は、もうそろそろ帰りましょうということになりました。なんと、この旅のリーダー(?)ディディの娘婿ジョインは日帰りしようとしてるのです。このとき時間は既に5時過ぎ。行きに7時間かかった道をまた戻っってもカトマンドゥに着くのは真夜中です。そりゃ、みんな忙しい人たちばかりだし、ゼネスト前には帰りたいけど、それはちょっと無理でしょう。どうするつもりなのか、とりあえず工場を後に私達は出発しました。ナラヤンガートにあるもう一つのディディの家に着いた時には、もうすっかり日も暮れていました。そして、ここナラヤンガートでは、夜9時から外出禁止令が出されていることがわかりました。やむなく、というか、ほっとしてというかその日はそこに泊まることになりました。その晩は、マオイストの襲撃はありませんでしたが、蚊の猛攻にあい、私も息子も、腕や足がぼこぼこになってしまいました。翌朝早く、私たちはカトマンドゥに向かって出発しました。 一刻も早く、蚊の少ない、涼しい(タライ地方に比べればですが)カトマンドゥに帰りたい気持ちでいっぱいでした。従姉妹たちと私は、もう絶対暑い時期にはこっちには来ないということで意見が一致しました。カトマンドゥに住んでいる彼女達、日本からきた私は、カトマンドゥ以外では暮せないわとしみじみ思いました夫の仕事のため、あんな暑くて不便なところで、生活しているディディは大変です。早く工場が完成し、春夏秋はカトマンドゥ、冬はナラヤンガートという、元の優雅な(?)ディディの生活が戻りますように。 (おわり)