カテゴリ:百人一首
小倉百人一首 五十三
右大将道綱母(うだいしょう・みちつなのはは) なげきつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 蜉蝣日記 拾遺和歌集 912 (ひたすらあなたを待って) 嘆きながらひとり寝る夜の 明けるまでの間がどれほど長いものかと あなたはご存じなのでしょうか (いいえ、ご存じではないのでしょうね)。 註 7日夜のNHK大河ドラマ『光る君へ』、藤原道長の父・兼家(段田安則)の臨終シーンで、いまはのきわの兼家が作者・道綱母(財前直見)に万感の思いを込めて語りかける台詞として、この歌が登場した。余韻嫋々たる名場面だった。その愛息・藤原道綱役の上地雄輔も好演。 若き日に、この歌を作者から贈られた(送りつけられた?)相手が兼家。 歌自体の文意は割と分かりやすいし、調べも美しく情感溢れるいい歌だと思うが、いかんせん背景の事情がなかなか重たい。 寝る:動詞「寝」の連体形。「寝」は、上古語「寝ぬ」が変化したもの。 かは(知る):「かは」は反語の係助詞。動詞の連体形と係り結びで、「~だろうか(いや、~ではない)」の意味を表わす。 藤原道綱の母:本名不詳(大河ドラマでは寧子とされている)。最高権力者・藤原兼家の妾(しょう、側室、夫人の一人)だった。 『蜉蝣日記』の作者。本朝三美人の一人とされるほどの美貌の才女であったが、貴族社会では一夫多妻が普通だった当時としては珍しいほど悋気・嫉妬(ジェラシー)、独占欲が強い性格だったといわれる。 今でいう、プライドが高くてヒステリックな「重い」女性だったのだろうか・・・と言ってしまうと身も蓋もないけれども。 その一方で、作用と反作用か、兼家も、貴顕の身分でありながら、内親王(皇女)から京の「町の小路の女」まで手当たり次第に手をつける、現代の「二股男」なんぞは裸足で逃げ出す艶福家というか浮気者であり、どっちもどっちとしか言いようがないか。私には無縁の御仁である 拾遺集の詞書(ことばがき)に「入道摂政まかりたるけるに門を遅くあけければ立ちわずらひぬといひ入れて侍りければ」すなわち、「(多くの愛人をはべらせている)夫・兼家が朝帰りでやっとご帰還したのだが、作者が門をなかなか開けなかったので『立ち疲れて病気になってしまったよ』と(冗談を)言いながら入ってきたので」(真顔で返した)とあり、これはかなりドロドロである。 この歌は作者の著書『蜉蝣日記』に登場し、それによるとこの歌を詠んだ経緯は、作者が道綱を生んで間もない20歳頃、夫・兼家が27歳の頃、「小路の女」(町娘? 遊女?)という愛人を作り、その女の元から明け方に帰って門を叩いた兼家を、作者は頑なに拒んで家に入れず、「うつろひたる菊」(しぼんだ菊の花)を添えてこの歌を贈ったのだという。なかなか凄まじい話であるが、おそらくこちらが事実であり、拾遺集の詞書はやや小ぎれいに脚色してあると見るのが、ほぼ定説。上代の万葉集にはまずない、人心の爛熟と頽廃の気配がほの見える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月08日 15時55分50秒
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