カテゴリ:その他の和歌
西行(さいぎょう) ねがはくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ 山家集 願うのは 桜の花のもとで春死のう。 その如月の満月の頃。 註 (花の)下:読み方は、「もと」と「した」の両説があり、確定し難い。 如月の望月:旧暦二月十五日の満月のこと。新暦では例年3月末~4月初め頃の桜の季節に当たる。 ねがわくは・・・死なむ:「願うことは・・・死ぬであろうこと」の構文なので、この「む」は終止形でなく連体形で、「こと」などが省略されている「連体形の準体言(見なし体言)用法」。 西行:本名、佐藤義清(のりきよ)。「歌聖」といわれ、後世の詩歌にもたらした影響は絶大。「俳聖」松尾芭蕉の傾倒ぶりは有名。 若い頃は、鳥羽上皇院政下の北面の武士(御所の南大門を守った天皇家の近衛兵)で、武勇を以って聞こえた。 あの平清盛とも同い年の同僚で、親友だった。この友情は晩年まで続き、伊豆の流人だった挙兵前の源頼朝や、奥州平泉の藤原秀衡を尋ねたりしている。あるいは、政治的な含みがあったとも考えられる。 1140年、23歳の時、卒爾として地位も妻子も捨てて出家し真言宗の僧侶となり、現世(げんぜ)への執着に苦しみながらも、各地を漂泊して数々の名歌を詠んだ。伺候した一条天皇の崩御で世を儚(はかな)んだとも言われるが、詳細は不明。ほとんどの歌は家集『山家集』に収められ、新古今和歌集にも多数入集している。 仏教の目的である、輪廻転生の煩悩から解脱して西方浄土へ行くという悲願を示す「西行」という出家名がすごい。 経歴から見ても、決してなよなよとした青白きインテリではなく、むしろマッチョな男っぽい男だったと思われる。 マッチョ系の作家、アーネスト・ヘミングウェイとか三島由紀夫とか石原慎太郎みたいな感じだろうか。 この歌に詠んだ(予告した?)通り、西行は健久元年(1190)の旧暦2月16日に入寂した。奇しくもこれは、釈迦(ゴータマ・シッダールタ、紀元前566頃-前485頃)の涅槃(ニルヴァーナ)と同じ日であった。当時としてはかなりの長命といえる72歳の天寿を全うした。 現在では、2月15日が西行忌とされているという。 * 画像クリックで拡大ポップアップ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月10日 06時20分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[その他の和歌] カテゴリの最新記事
|
|