カテゴリ:百人一首
小倉百人一首 四十七
恵慶(えぎょう)法師 八重葎茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり 拾遺和歌集 140 幾重にも葎が生い茂っている 荒れ果てたこの家の寂寥に 訪ねて来る人とてないのだが ひとり秋だけは忘れずにやって来たのだなあ。 註 拾遺集の詞書に、「河原院にて荒れたる宿に秋来るといふ心を人々詠みはべりけるに」(河原院で、荒れ果てた家に秋が来るという主題を人々が集まって詠んだのだが)とある。 八重葎茂れる宿:河原院。もと源融(みなもとのとおる、百人一首14番作者)が、京都六条に奥州・塩釜の浦の景色を模して作らせた豪壮な別荘・庭園だったが、恵慶がこの歌を詠んだのはそれから約百年後で、荒れ果てて半ば廃墟になっており、恵慶の親友・安法(あんぼう)法師が気ままに住んでいたという。 葎:アカネ目(新体系ではリンドウ目)アカネ科の密生し藪をつくる草。植物分類学的にはかなりの種類がある。 さびしきに:寂しいところに。寂しい状態に。寂寞に。連体形の準体言(見なし体言)用法。「ところ」などが省略された言い回しであり、これを補うか体言化(名詞化)して読む。 (人)こそ(見え)ね:係助詞「こそ」と打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」で、強調・逆接の係り結び。人は来ないのだが。 「こそ」と活用語の已然形の係り結びは、現代文でも用いられる。「大鵬さんとは競技こそ違え、同じアスリートとしていつもその偉大な足跡を追い続けてきました」(長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督、元横綱大鵬の納谷幸喜さんの死去に際しての談話) 見え(見ゆ):この場合は「来る」の意味。現代語でも「お見えになる」(「来る」の尊敬語)、「お目見え」などと使う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年10月13日 08時12分34秒
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