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テーマ:お勧めの本(7406)
カテゴリ:孫子・三国志
近頃、また三国志に、はまっている。
北方謙三の三国志を読み始めたり、吉川英治の三国志を読み返したり、両者を比べたりして楽しんでいる。 僕は、「三国志演義」をベースにした吉川三国志しか知らなかったので、「正史 三国志」をベースにした北方三国志が、とても新鮮だ。 北方三国志は、できるだけ史実に基づき、不明なところは、できるだけリアルに、そして心理描写を大切に書いているといった印象。 三国志は、「魏(ぎ)」「呉(ご)」「蜀(しょく)」の三国の戦いの話であるが、吉川三国志の場合、漢の復興を目指す蜀の「劉備」や、その家臣が主役。 逆に、北方三国志では、魏の支配者「曹操」が主役として描かれている。 吉川三国志しか知らない僕は、北方三国志によって劉備、諸葛孔明、関羽、張飛といった蜀のヒーローが悪者扱いされていないか心配だったのだが、そんなことはない様子でホッとした。 むしろ、より人間的に描かれており、感情移入できる。 諸葛孔明は、吉川三国志のように神がかり的なスーパー軍師ではない。 失敗したり、くよくよ悩んだり、泣いたり、とても人間的。 史実の諸葛孔明は、どちらかというと軍事より政治的な面で才能を発揮した人のようだ。 それはそれで凄い人物のようである。 戦乱の中で魏・呉・蜀の三国の、どれが正義かは客観的に判断できないので、結局好き嫌いになる。 では、どうして、天下統一の功労者である魏の曹操より、最も早く滅びてしまった蜀の劉備や諸葛孔明を正義とする「三国志演義」の方が大衆から支持されるのだろう? 僕は、蜀に存在する「志」と「義」というものが一般大衆に共感しやすかったのだと思う。 大国「魏」の曹操が、自分自身の野望を果たすため天才的な頭脳を駆使して戦略的に戦うのに対し、小国「蜀」は「漢王朝の復興」という共通のミッションのために、劉備、関羽、張飛の3人の義兄弟と軍師の諸葛孔明が、それぞれの持ち味を出し、チームプレーによって大国「魏」と善戦する。 こういうところに大衆は共感するのではないか?(特に日本人は) 義によって結ばれた「蜀」のヒーロー達の役割りは、それぞれ 劉備 ⇒ ミッション、ビジョンの人 諸葛孔明 ⇒ 戦略の人 関羽、張飛 ⇒ オペレーションの人(軍事の実行部隊) こう考えると、僕がこれまでの日記で書いてきた日本企業のあるべき姿(チームプレーによる知識創造)とダブる。 どちらが勝るか? 魏 VS 蜀 天才 VS チームプレー(義) 私欲 VS ミッション(志) やはり僕は、「蜀」派なのか? そして多くの日本人も? あなたは、どっち派? 三国志の結末は、魏・呉・蜀全て滅び、魏でクーデターを起した司馬懿が新王朝「晋」を作り、中国統一なのだから皮肉なものである。 劉備は、志より義を選び、関羽、張飛の敵を討つため、出陣し、大敗する。そして最後に「漢王朝の復興」の志を諦め、孔明に国を譲ろうとする。 孔明は、劉備との義と志を貫くため、それを断る。そして国政より魏との戦いを選び、司馬懿との持久戦に耐えることができず戦場で病死する。 曹操も覇王の夢叶わず病死。魏は、天才曹操に代わる者はなく、家来の司馬懿とその一族に、その座を奪われてしまう。 そして呉も滅ぶ。 三国志は、叶わぬ夢を見ながら滅びていく切ない男達の物語なのだ。 まあ、結局人間は死ぬんだけど、どうせ死ぬなら、良いミッションのために生きたいものだ。 三国志(1の巻) 天狼の星 ( 著者: 北方謙三 | 出版社: 角川春樹事務所 ) 【楽天ブックス】吉川英治 三国志(1) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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