訃報
突然ですが....夫が先々週の土曜日の昼前、別荘の庭から2メートルほど下の側溝に転落してしまいました。救急車が到着した時すでに意識不明だった夫は、すぐにドクターヘリで病院に搬送してもらいましたが、脳の広い範囲を挫傷しており、厳しい状態でした。3人の子供たちが次々と駆けつける中、翌朝までがんばってくれましたが、6月23日、帰らぬ人となりました。夫は、3人の子供たちが成人してからのここ数年、以前からの趣味であるゴルフのみならず、ダイビングやカヌーにも挑戦するなど趣味を増やし、リタイヤ後の生活を見据えて着々と準備を進めておりまして、今日はゴルフ、明日はダイビング、次はカヌーと毎週末、楽しんでおりました。 「休日がいくらあっても足りない」と苦笑しておりました。何をするにもどこへ行くにも「一緒にいこう、一緒にやろう」と誘ってくれていた夫は、本当はダイビングもカヌーも私と一緒にやりたかったらしいのですが、海に潜ったり川をくだったりするのは「さすがに無理」と私が断ると とても残念がっていました。その代わり、年に4,5回も旅行に行くなど、それ以外で出かける時はいつも一緒でした。20年ほど前に建てた別荘には、雪のない春から秋にかけて 月に2回ほど共に訪れて、自然の中でのひとときを楽しんでおりました。別荘での夫は1日中、一面に芝生をはった広い庭で、芝をかったり、雑草をぬいたりという庭作業をしていることが多く、事故がおきた日も「芝の肥料をまく」と言って、庭に出ておりました。そんなのどかなひとときが突然悲劇に変わってしまい、そしてそれがあまりにも突然すぎて、あれから一週間以上のときが流れましたが、いまだに信じられない気持ちでいっぱいです。私生活では3人の子供も社会人となり、長女は結婚して孫にも恵まれました。夫は孫のことをそれはもうかわいがっていて、孫にデレデレの優しいジイジでした。つい3週間ほど前に 二人目の孫が生まれたばかりで、病院に面会に行った際 生まれたばかりの赤ちゃんをいとおしむように抱っこしていたしあわせそうな夫の姿は、まだ記憶に鮮明です。だんだんとモニターの心拍数が減っていく中、ICUのベッドに横たわる夫を囲んで、手を握りながら 髪をなでながら、家族みんなで「がんばって、がんばって」と声をかけ続けました。 娘はICUに入れない孫の動画を撮ってきて、夫の耳元で何度も何度も再生していました。夫の母校でもある医大を昨年卒業し医者になった長男は、専門的な対応を含め医者らしく冷静に行動してくれ、「立派な医者になるからね」と夫に誓っていました。末っ子で夫にいちばんかわいがられていた次男は、小さい頃からの思い出話を夫の耳元で延々と何時間も語り続けていました。そんなみんなの声が聞こえたのか夫は、危なくなりながらも何度も盛り返して翌朝までがんばってくれ、家族がひとつになれる時間、思い出を語り合う時間、お別れをする時間をたくさんたくさん作ってくれました。典型的な「昭和の男」であった夫は、家庭では、亭主関白でいばっていて、私や子供たちに 憎まれ口をたたくこともしばしばで、家族を困らせる面も多々ある人でしたが、最期には家族全員が心から 「パパありがとう」 と言うことができました。54歳という若さであり やり残したこともいっぱいあり、無念であったとは思いますが、強がってはいたけれど、本当はとても寂しがりやで 私のことが大好きな夫でしたから、一人でいる時ではなく、私と一緒の時に事故が起き、救急車で運ばれる間も、ドクターヘリで搬送される間も、ずっと隣にいてあげられたということと、永遠の眠りについた夫が、生前には見たことがないほどおだやかで、優しい顔をしていて、とてもしあわせそうなので、「いちばんしあわせな時に逝ったのだなぁ」と 心から思えることが いまの私にとっては、何よりの救いとなっております。喪主 レティチア( 会葬御礼の言葉より 抜粋 ) 私のブログを、いつも読んでいてくれている 皆様へ不慮の事故で 殿さま旦那が 突然 逝ってしまいました。ブログで さんざん悪口 書いていましたが、今は、いい思い出しか 残っていません。本当に 感謝の気持ちでいっぱいです。ついこの間、この日記で「生まれ変わったら 旦那とは結婚したくない」 と 宣言していた私ですが今は、 「もう一度、この人と結婚してもいいなぁ」と 思ってます。そんなわけでブログ....しばらくお休みします。何ヶ月後か、 いや何年後か、 わからないけど「 元気にやってます 」 という 内容で復帰できたらいいなと 思っています。