カテゴリ:小林一茶の部屋
元旦 一茶 俳諧寺一茶、信濃 柏原の人。 「雪の山路の曲りなりに」とあるも、柏原は雪の深いところだからである。此文を書いた時の一茶は五十七歳の春である。 昔、丹後の国普甲寺といふ所に、深く浄土をねがふ上人ありけり。としの始は世問祝ひ事ししてさざめければ、我もせんとて、大三十日の夜、ひとりつかふ小法師に手紙をしたため渡して、翌の暁にしかじかせよと、きといひをしへて本堂へとまりにやりぬ。小法師は元日の且、いまだ隅々は小闇きに、初鳥の聲とかなじくかばと起て、教への如く表門を丁々と敲けば、内より、いづこよりと問ふ時、西方阿弥陀より年始の使僧に候と答ふるよりはやく、土人裸足にておどり出で、門の扉を左右へさっと開て、小法師を上座に請じて、きのふの手紙をとりてうやうやしくいただきて読ていはく、その世界は衆苦労充満に候間はやく吾国に来るべし、聖衆出むかひしてまち入候、とよみ終りて、おゝおゝと泣かれけるとかや。 此上人みづから工み拵へたる悲しみに、みづからなげきつゝ初春の浄衣を絞りて、滴る涙を見て祝うとは、物に狂ふさまながら、俗人に対して無常を演るを禮とすると聞くからに、佛門においてはいはひの骨頂なるべけれ。それとはいさゝか替りて、おのれらは俗塵に埋れて世渡る境界ながら、鶴甕にたぐへての祀霊しも厄拂ひの口上めきて、そらぞらしく思ふからに、から風の吹けばとぶ居室は、くづ屋のあるべきやうに、門松立てず煤はかず、雪の山路の曲り形りに、ことしの春もあなた任せになんむかへける。 目出度さもちう(中)位也おらが春 一茶 こぞの五月生れ勁る娘に、一人前の雑煮膳を据へて 這へ笑ヘニツになるぞけさからは (おらが春)お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月15日 17時28分29秒
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