高齢者の転倒による救急搬送は、
平成28年東京消防庁の発表によると、5万人以上で、
平成29年厚生労働省の発表によると、全国での死者が8千人以上。
‥って、結構な数字だよねこのデータ。
転倒事故は、意外に家の中で起こることが多い。
私の知り合いの意見の一つに、家の中までバリアフリーにすると、
それに慣れてしまうから外でも転倒しやすくなってしまうと言うが、
私はその考えには反対である。
家ってリラックスする場所だよね?
足の運び方のことまでも考えて、家の中を歩いていないよね?
家の中では、油断して当たり前だと思うのである。
だから家では、少しでも転倒のリスクを減らしたほうが良いと思う。
なので、バリアフリーにするのが理想だが、
現時点でバリアフリーにするというのは、ハードルが高い構想である。
でも、出来る範囲で理想に近づけたいとは思っている。
「逆転人生」では、中小企業の社長が、介護シューズの開発で、
倒産を免れてきた経緯を話していた。
介護シューズを作ったのは、香川県さぬき市の小さな町工場の社長、
十河(とごう)孝男(当時の社長)72歳だった。
1989年‥30年前に、小さな縫製会社を営んでいたのだが、
仕事は大手の製品の製造を請け負っていた。
その頃はバブル絶頂期なので、仕事は順調よくいっていた。
問題は、バブル崩壊後である。
1992年に大手企業から受注減とコストダウンを言い渡された。
海外からの安い製品が、簡単に手に入ってしまうからだった。
言われるままにコストダウンした品物を持っていくと、
「こんな物しか作れないのか!」と、
大手企業の担当者から罵られる十河社長。
担当者が変わっただけで、自分の会社の業績を左右されてしまうなんて、
大手企業担当者の、あまりに大きな影響力に、言葉を失ってしまう。
中小企業で大手企業の下請けをしていると、
大手企業の方針一つで、下請けは簡単に切られてしまう。
一蓮托生じゃぁ無いんだよねぇ‥信頼関係なんて無いんだよなぁ‥。
でも、そこに社長を別の方向に向かわせる友人の一言があった。
これが苦悩の始まりであり、また倒産を免れた一言でもあった。
その友人は、高齢者施設の園長の石川憲さんで、
施設のお年寄りの転倒事故が相次いでいるので、
年寄りが転ばない靴が作れないか?というものだった。
今から25年位前には、介護シューズそのものが無かった時代。
これは会社が生き残れる道ではないか!と社長は考え、
独自ブランドを立ち上げる決意をする。
その頃の介護施設では、スリッパかサンダルだったらしい。
それは、着脱しやすいから‥という理由だった。
それで社長が大手企業の下請けで扱っていたルームシューズを改善して、
それを友人に渡し、お年寄りに試し履きをしてもらった。
ところがこれが全く不評で、一度そのルームシューズを履いたら、
もう二度と履かないと言って、突っ返されてしまったという。
社長は慌ててすぐにその施設に行き、
靴を履くことの問題点を、直接お年寄りに聞いて回ったところ、
いくつもの不満点が出てきてしまった。
靴が重いから足が上がらない‥とか、
床が滑って転びそうになってしまい怖い‥とか言う声だった。
どうやら社長はルームシューズの延長線で介護シューズを考えていたのだが、
根本的に、それでは駄目だということを思い知らされる。
社長曰く、今思えばルームシューズを改良するという発想自体が、
浅はかだったと告白‥つまりは、大手企業に依存してきた現実を、
思い知らされたわけである。
大手企業からは、言われるままの商品を作っていただけで、
商品を改良して、もっと良い物を作ろうという思考回路が無かったのだ。
やっぱりルームシューズでは駄目だということで、
靴での改良を考えるのだが、靴作りのノウハウが全く無かった社長は、
そこから寝る暇を惜しんで、介護シューズ作りに没頭したのだった。
逆転人生になるまでは、ここからも幾つもの試練があった。
会社内での亀裂や、新商品の売り込みの仕方の安易さ等々‥。
でも、だからこそ倒産を免れた中小企業の物語。
やっぱり苦労してこそ逆転人生が待っていると、感じる話しだった。