命のビザ 杉原 千畝 を再感動。
今から70年ほど前。リトアニアに住んでいた。 杉原 千畝氏は6000名のユダヤ人の命を救った。 日本人外交官がドイツ軍の迫害からユダヤ人の生命を救う為に日本の通過ビザを発行。をしたいと 外務省に打診。 杉原 千畝氏の問い合わせに対してドイツ軍と有効関係を構築中の折。日本からの指令は絶対にビザを発行するなとの命令。 それでも、日本国の命令に離反してドイツを裏切っても人命が大切と独断でビザを発行。 杉原氏のビザのお陰。数万キロの亡命。 ユダヤ人が敦賀港から日本に上陸して日本国を横断。 名古屋港から第三国に亡命出来た。 外務省の方針に背き。強制帰国後に国賊扱いを受け。 杉原 千畝氏は外務省を追放され極貧の生涯を終えた。 私が杉原千畝氏の偉業を知ったのは上記の講演会を拝聴したご縁でした。 「講演会 杉原千畝が遺したもの を拝聴」plaza.rakuten.co.jp/mikiosoba/diary/200912230000 没後、命を救われユダヤ人が大成しての偉業を世界に伝えた。 生きながらえたユダヤ人が杉原 千畝の消息を日本外務省に問い合わせ。 千畝(ちうね)を呼べずせんぽと覚えていたので外務省に問い合わせ。 それを幸いに そのような人物は過去の外務省に居ません。 嘘の回答しか得られない仕打ちを受けました。 それでも、 ヨーロッパに 杉原センポ(ローマ字で刻印)の慰霊碑を立て。報奨を与え偉業を世界に発信。漸く、迫害の晩生を嘆き世界に発信。この発信に共感した世界のバッシングに漸く。外務省が動き。 数十年前外務省が杉原氏の遺族に謝罪。 杉原氏の人権が復活した。 今日。テレビで今。放映。偉大な日本人に乾杯。凄いぞ。日本。 頑張れ日本 偉大な杉原氏に感動再び。 日々笑進 みき