理解を超越した関係
理解を超越した関係 南風一仕事から帰り際に出口や自転車置き場でただ顔を見るから挨拶する(そして帰路に就く)そんな関係の人がいるでも今日は当たり前に挨拶して玄関口から出てきたのにまた自転車置き場で(ただ顔を見知っているから惰性で挨拶しているに過ぎない)彼女に出くわしたから(彼女の方は通用口から自転車置き場に出てきていた)私と同じ職場の同僚とも挨拶を交わして話し込んでいたから同僚へ挨拶を送るのと同時に先ほどエレベータの出口ですでに挨拶を交わした彼女にも二度目の「お疲れ様」という言葉を投げてしまったさすがに私から二度目の挨拶を投げかけられた彼女の方は「この人誰だろう?」というような不思議なものを見るような視線を投げて寄越したその仕草から「なんーだ 6日に一回くらい仕事から帰るとき挨拶を交わしているのに 図らずも私に対する認識が全く無いことが判明してしまった」それから私の方が先に自転車に乗って出発したはずなのに途中の信号機のある交差点で自転車に乗った彼女が素知らぬ顔して私の自転車を追い越して行った彼女の後姿を見送りながら挨拶を交わすこと以外に彼女のことは何も知らないことに気づく彼女は50歳前後の既婚女性だろうということしか知らないそして17時15分が来れば同じ建物から出て家路を急ぐそんなこと以外に何も知らない彼女が自転車に乗って遠ざかっていく後ろ姿を見送りながら彼女は職場を出て 一度家路に就けば外で私の姿など認識の対象にも上がらない挨拶はするけれど何も知らないただ同じ建物に勤務するだけの関係だから一旦戸外に出れば お互いを認識することは全くできないそんな関係の人はそこら中に存在する(詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。購入は、こちらからどうぞ詩が良かったと思う方は人気blogランキング