夜半から、東京大空襲
うちでは、3月9日は、気をつける日とされている。
本当は3月10日だが、3月9日の夜半からはじまった爆撃なので。
B29は、東京の下町を、碁盤にみたてた..
碁盤のはじから、四方を囲うように、じゅうたん爆撃を行い、巨大な四角形の火の海をまず、つくった。
そして、中にいる人々の逃げ場をなくしてから
碁盤の目を一つずつつぶすように、爆撃を行った。
向島にあった曾祖父の工場は、焼けました。
たまたま工場にいた祖母と、母は、道に詳しいかたのあとにつき、大八車をひいて命からがら江戸川の橋をわたりました。
千葉に入り、振り返ると、東京は、昼間のように
明るく、真っ赤だったそうです。
祖母は、逃げる最中に、B29の操縦士の顔がみえたそうです。
燃え盛る火の海が、こうこうと機体を照らしていたからと、
それくらい低空飛行だったそうです。
日本の高射砲は、全く届かず、やられるがままに
東京は、焼かれました。
当時小学生だった母は、一切話しません。
祖母が、いつも話してくれました。
忘れてはいけないと思います。
合掌