日記 『静岡の教育』
すっかり温かくなり・・・春という感じになりました。 今朝のニュースには驚きました。チュニジアでのテロで日本人が 犠牲になった・・・という・・・先日友人のトルコ行きを心配したばかりでしたが・・ 思わぬ国での参事ですね・・・ 楽しい旅を想定して行動した外国旅行で人生の幕を閉じるという・・想いもよらないことが起こってしまい本当に気の毒です。 最近は、自分の人生というものを考えることが多くなりました。 しばらく前に観た、文学座の「女の一生」という芝居を観てから自分の人生を振り返ることが多くなり・・・ 満たされなかった10代があり、20、30代代は結婚して子供も二人生み平凡だったけれど、幸せを満喫した時代であり、今は人生の後半に入り・・自分の思ったことが出来るかと思いきや、足を引っ張られることが多く、少しも、羽ばたくことが出来なかったように思えます。 良いこともいっぱいあったのですが、自分の枝葉を、大空に思いっきり羽ばたかせようとしたら、芽を摘まれることが多かった・・・ということです。 昨日、ノーベル平和賞を受賞した若きマララ.ユスフザイさんのお父さんがTEDでプレゼンしていました。(NHKの番組) 彼は多くの人に,娘さんをどのように育てたのか? と聞かれるそうです。 最後に語った言葉が、「娘マララの翼をもぎ取ることをしなかった、ただ、それだけです」と語っていました。 パキスタンという国が、日本では考えられないほど、封建的な国で、女性が学ぶことを許さない男性社会の国です。それは驚くばかりでしたが、お父さんは、女子が学ぶための学校を創ったそうです。 それは、偉大な素晴らしいお父さんなのだと思いました。 それだけでなく、その国に必要な人物だったと思えたのです。 わたしは、東京に10年近く住み、昨年、結婚した頃に住んだ静岡の草薙に戻ったのですが、戻ってきたばかりのころ、近くの中学校の横を散歩しながら見ると、刑務所のような寒々しさを感じたのでした・・。 校舎の門付近の樹木は全て、枝を刈り取られ、刈り取る必要は無いのに・・。 多分毎年、大きくならないように、枝を伐採しているのです。 それと、校舎は、沈んだ薄いブルーグレーの色合いのモルタルで、ここは刑務所みたい・・ という印象を持ってしまったのでした。 なので、本当は、あの中学校に乗り込んで、わたしの感想を伝えたい気持ち なのですが、今だにそれはしていません。 静岡に戻ってくると、年中人口流失についてのローカルニュースをやっています。 それは、現実に静岡に戻ってきてからの驚きでした。しかし、新しいお店など東京にあるものは、案外こちらにも出来ていてそれほど 不便は無いのです。 しかし、度重なる、静岡から人が減っているニュースを耳にすると、何とかしたい気持ちと、わたしも、やっぱり東京へ戻りたい気持ちが複雑に絡み合います。 それから、こんなこと、書いてよいかどうかと思いますが、静岡県の教育委員のトップに選出されて、県議会でその人事で良いのかどうか?と問題になっている高木桂蔵さんという静岡県立大学の名誉教授がいます。新聞で拝見し、そういえば、2011年ころに、彼の講義を社会人聴講生で受けたことが蘇りました。 中国の「客家」についての専門家なのですが、わたしは、当時彼の講義を広い場所やられていたことで思い出すのは、毎回決まって、前列の方が空いていたので、(学生は後ろに座りたがる)「前に座らない学生には単位をやらないぞ」 という口癖のような、押しつけが、思い出されます。 それが、必ず、授業の始めに決まって毎回言うので、ご本人の朗らかなお人柄よりも、嫌な印象として、残っています。 それと、ご自分の自慢話が多かったのです。 そして講義がまるで面白くなかったのです。 静岡県の教育長にふさわしいか? どうか? ということにわたしが口をはさむことは出来ませんが、得てして、自分が成りたい人なんだろうなぁという感じを持ちます。 なんの恨みもないのですが、 現在、わたしの住む付近に存在している 刑務所のように見える中学校を観ると、もう少し、もっとふさわしい方が他にいるのではないだろうか? と思えてなりません。 久しぶりに、こんなこと書いてしまいました。昔は新聞投稿をしていたのですが、それはやめてしまったので、こんなブログの片隅に本音を書かせて頂きます。 何故かというと、静岡の学校環境を良いものにして欲しいからです。 静岡が好きだからです。 子供たちが芽を摘まれることなく豊かに学んで成長してほしい・・・ そんな風にいち県民として感じています。 自分の子育ては終わってしまいましたが、教育がどれほど重要かということを感じています。 皆さんは、どのように思われるでしょうか? 生意気で申し訳ありません・・・。 それでは、最後まで読んで頂き感謝します。 本日も良い日をお過ごしくださいね・・。