ミッションインストールのような司会
この前の望年会で司会をやったときのことだ。中盤のスピーチは今から思えば僕ちゃんが自分に対して落とし込みながら話していた感が強い。途中から何かが変わって吹っ切れたように 話していた。なんだかミッションインストールを40人以上の前で俺の為にやったようだった。こういっちゃなんだが、誰が一番何かを得たかってーと、ボキが一番何かを得た。ボキもいろいろ苦労もしたらしい。大変だと思ってないからボキは苦労してないが、人から見るといろいろ大変に映ったらしい。でも思ってなかったほどの果実を得た。聖書より、『与えよ、さらば与えられる。』大抵の人は年を取ると大人になると勘違いしているが、実は年をとって大きな子供になるだけ。特定の相手を振り向かせる方法は分かりません。正しい人になれば正しい人がついてきます。幸せになろうとして相手とつき合うな。まず幸せになる事。相手を幸せにすることを考えよ。相手が幸せかどうかは僕にはわかりません。でも相手の喜ぶ顔、幸せそうな顔を見るのが、僕にとっての幸せです。そのためにはどんな困難な事でもやるつもりです。真逆なようなことに思えるが真理は同じ。相手を幸せにしようと思ったら自分と相手が幸せになれない付き合い方は破綻する。答えがyesでもnoでも聞いてくれてアリガトウ。考慮に入れてくれてありがとう。やりつづける秘訣はうまくいった時はお祝いする事。一気に人徳から経済に梶を切り返すときが迫っている。大損してからずーっと器量を広げる事にフォーカスしてきたが、経済紙を読んだが良くわかんなくなってる自分を発見。そろそろ極に入りつつあると見た。ココから最悪でも半値押しか~。それ以上おしたら経済史上かってないクラスの不況入りなんで、仕方あるんめィ。この前の暴落でも損な事を言っていたような気が。。。