「The Living Years」 ~三七日~
父の亡くなった翌日、加賀美屋の大女将が亡くなりました。あ、朝ドラの話ね。僕は通夜から泊まり込んだ斎場の控え室のテレビで観て母は録画したビデオを何日か後に観ました。二人の感想「死ぬ間際にあれだけ喋れたらいいよね!」--------父は長期入院せず綺麗な姿で亡くなったので良かったと思うと書きました。しかし逆にそのせいで死に臨んでの会話は出来ませんでした。8月12日の夜に帰省し19日の早朝から昏睡状態。その間、会話と呼べるほどの会話は帰省した直後にほんの僅かだけであとは「水」「痛い」「トイレ」だけ。父は短歌を詠んでそれを毎年の年賀状に載せていたのですが辞世の歌は無く辞世の言葉(と呼べるようなものではないけれど)も「水」「痛い」のどちらか(それすら記憶に残っていない)でした。そして夜中の0時7分に亡くなり延命行為は行わないという家族・病院双方の方針だったので死の瞬間を見届けたのは、病室に泊まり込んだ兄だけ。母や僕が駆けつけた時には息を引き取っていました。--------実は、この何年か僕の個人的な理由で、両親とあまり会話をしていませんでした。いまさら後悔しても遅いのだけどやはり生きている間にもっと話をすべきでした。I just wish I could have told himin the living yearsすごく思う 話すことが出来ていたらと生きている時に(中略)You say you just don't see itHe says it's perfect senseYou just can't get agreementIn this present tenseWe all talk a different languageTalkin' in defense君は言う まるで理解できないと父親は言う それは完璧な価値観だって君はまったく同意できないこの現在進行形において僕らはみんな違った言語を話す話している 身構えてSay it loud, say it clearYou can listen as well as you hearIt's too late when we dieTo admit we don't see eye to eye大声で言おう はっきり言おう耳を傾けることが出来る ただ聞くだけじゃなく遅すぎる 死んだ時に目と目を合わせなかったと認めるのは(中略)I wasn't there that morningWhen my Father passed awayI didn't get to tell himAll the things I had to say僕はいなかった その朝に父さんはこの世を去った僕は言うことが出来なかった言わなければいけない事を何も(中略)Say it loud, say it clearYou can listen as well as you hearIt's too late when we dieTo admit we don't see eye to eye大声で言おう はっきり言おう耳を傾けることが出来る ただ聞くだけじゃなく遅すぎる 死んだ時に目と目を合わせなかったと認めるのはThe Living Years / Mike + The Mechanics (1989) words & music by Mike Rutherford & B.A. Robertson translation by Miya_Juryou