親と子で乗り越えていくもの
夕べ、久しぶりにミユが夜泣きをした。はじめは虫に刺されたのか、手をポリポリ掻いていて、次第にわけもわからず泣きじゃくる、という状態に陥ってしまった。夜中の3時半、そろそろ新聞配達屋さんが来る頃だ。そして、つい二ヶ月前まで、毎晩のようにこうして抱っこし、あやして新聞配達の気配を待っていたんだなあと思った。1年半前にこの世に生を受けた我が子は、生まれた当初からあまり寝ない子だった。お昼寝も少なかったし、夜も熟睡する時間が短かった。何度もお医者さんに相談したが、睡眠とは個人差が大きいもので、何の問題もないとのことだった。医学的に問題はなくても、新米親子に睡眠の問題は大きかった。夜中に何度もぐずる子に、ミルクだ、おっぱいだ、おむつだ、暑いのかも、寒いのかも、いや、音楽が悪いのかも、等など、思いつく限り手を尽くして彼女の安眠を守ろうと私達夫婦は奔走した。旦那様は優しい人なので、ミユが起きると必ず一緒に目を覚まし、抱っこを替わってくれたり、子守唄を歌ってくれたり、ミルクを作って来てくれたりした。何度も「次の日に障るから、私とこの子は別の部屋で休もうか」と提案したがその度に、「いや、自分は睡眠時間が短いのは苦にならない。子育ては二人でやろう」と言って、やはりミユの泣き声で一緒に起きて、私を助けてくれた。抱っこのし過ぎで、腱鞘炎になったり、椎間板ヘルニアを発症したりした。それでも、どちらかが抱っこせずにミユが寝ることはなかった。我が子の泣き声というのは、本当に身の切られるような思いのするものだ。何とかしてやりたい、寒いのなら温めてあげるし、痒いのなら掻いてやる。空腹やのどの渇き、欲しいものならなんでもあげるし、何でもしよう、という気持ちになる。眠れず、要求を伝えられずにただ泣くしかできない子も可哀想だ。でも、その要求を満たしてやれず、手の施しようを知らない親のほうも、情けなくふがいなく、自分の無力を思うと泣きたくなるのだ。そうして、幾晩も親子三人で過ごし、なんとなく、泣いたときの対処法をつかみ、ミルクがすぐに出せるシステムを作り、脱ぎ着のしやすいパジャマも手に入れ、音楽もパッヘルベルとラフマニノフとヨーヨーマが安眠を誘うことに結論を見出し、この夏なんとか卒乳し、朝までぐっすり眠れる幸せを一年半ぶりに享受していた矢先だった。久しぶりの夜泣きだ。子守唄も一巡した。外に出て夜風に当たってみたりもした。手を替え品を替えして、ようやくミユが寝息をたて始めたときは四時半を廻っていた。こうやって、親子で乗り越えていく。一時間の夜泣きなど、今は些細なことであるが、きっとこれから、この何十倍も苦しいことに遭うのだろう。それでも親子三人でひとつひとつ乗り越えていかなければならない。幸い、私には最大限のヘルプを惜しみない二本の手がある。その父の腕が困難に向かう主な舵取りになることもあろう。不安もあるが、楽しみですらあるような気がする。私達はこんな困難をエスケイプ(escape 無しで済ます)するつもりだった。ふたりぼっちで、気楽に人生を謳歌しようと思っていた。それも、いい。きっとそれは幸せだったろう。でも今は、親として色んなことに直面して、見苦しくても息苦しくてもなんとか乗り越えながら、親が親に子が子になっていく過程を楽しんでいる。この小さな営みに感謝する日々である。