浜名湖・章南中学ボート転覆事故
100年前の事故を思った人も多いだろう。合唱曲「真白き富士の根」を知るからである。しかし、その事故の経緯を知る人は、ほとんどいない。藻緯羅も、何年か前に、ラジオで関係者の話を聞く迄は、そういう事故があったということだけだった。今度の場合、事故の原因は、「想像力の欠如」に尽きる。その欠如の原因は、まさにコレ↓である。 moira/diary/20100618情報収集を怠った、安易に船を出した、などと、事故原因と責任は結論づけられるだろう。もし、曳航(えいこう)しなかったなら...ボートは、転覆しなかったかもしれない。教習で使うボートである、安定性に優れる。しかし、荒波の中、ボート自身が安定を維持しようとしているのに、ロープで繋いで、モーターボートで引っ張ったら、外部から、身勝手に引っ張られるわけだから、安定性を失って、転覆する可能性は高まるはずである。例えば、自転車でヨロヨロと進んでいる時に、後ろで、倒れないように押さえられると、楽に進めるだろうか?「想像力」があれば、曳航は控えて、別の方法をとったかと思われる。救命胴衣を付けているわけだから、それほど、慌てることもなかった?この辺りは、現場にいないので微妙だが、「曳航」が、無謀の極みなのは確かと思う。死亡事故に至ったのも、「想像力」の欠如かもしれない。一人行方不明となったら、ボートの下を探すであろう。救命胴衣を付けているから、沈むはずがない。まず探すべきは、ボートの下である。早く見つけられれば、救命の可能性も高まる。我々は、文字だけから情報を得る時は、「想像力」を働かせて、文字を読む。小説を読むとき、詩歌を読む時もである。マンガになると、「想像力」は少し狭められてしまう。その分、作者の意図は正しく伝わるかもしれない。映画となると、その傾向は、さらに強められる。テレビとなると、一層、狭められると同時に、受動的に情報が入って来てしまい、「想像力」は停止する。ビデオゲームとなると、作品によっては、間違った想像力を教化することになる。まさに、「もろ刃」の剣である。さて、合唱曲「真白き富士の根」の、美しい女声合唱を聴くと...藻緯羅は、必ず、涙する。想像するだけでも、涙する。というわけで、涙の分泌が正常かどうかを、チェックしている。こうなったのは、前述したように、ラジオで事の次第を聴いた後である。今は、やや回復して、コンタクトレンズも3、4時間はOKである。唾液の方は、正常で、パンも食べられる。ビオチンは、1日5ミリグラムと、藻緯羅の常用量を摂取中。[楽天市場]Joshin web CD/DVD楽天市場店2,871円[中島みゆき 旧譜キャンペーン2024特典付]いまのきもち/中島みゆき[CD]【返品種別A】