至福のとき++ちょいわらいドンと泣く++
~あらすじ~■■■■ネタバレは禁止していませんので未見の方は注意です! 中国映画界の名匠チャン・イーモウ監督が、 盲目の少女と中年男の不思議な交流を描くヒューマン・ドラマ。舞台は中国の大連、旅館経営者を名乗るも実は失業中のチャオ(チャオ・ベンシャン)は、見合いした女性に頼まれ、義理の娘ウー・イン(ドン・ジエ)を按摩師として働かせることに。継母に冷たくされている彼女に同情したチャオは、廃工場に偽の按摩室を設け、仲間に旅館客のふりをしてもらい、仕事をさせていくが…。 近代化の進む中国の都会の片隅で健気に生きる人々の姿を通して、人間本来の優しさなどが温かく描かれる好編。現実の厳しさを見据え、決して生半可なハッピーエンドにしていないところも逆に感動的。 今回は“映像の奇跡"を否定するチャンのモラルに感激,結婚したくてしかたがない中年男が、自分は旅館経営者だと相手に嘘をついたことから、相手の別れた夫の連れ子である盲目の少女の面倒をみることになったものの・・・、というのが、最初のほうのストーリーです。だが、けっして悲劇のヒロインがそこにあるとは思えない、コメディな場面あり、彼女の実父を信じ必ず会えるという純粋な希望が美しすぎたのかも。継母との関係だって、よくある話でしょう、本人はそとへ(職をもらう)ことで、生きかえり、至福のときを味わった・・ただ鼻につかない程度の社会批判と人としてのどうあるべきかの啓蒙の矛先がやや鈍い。 少女の下着姿を肥った求婚相手との対比ととるか?、哀れみを誘うためか?必然性が明確にされないまま3回も見せたことに減点した。パンツ一丁は、男性諸君の視線を操るためか?この手の意味不明な露出は、どんな映画でも苦手です・・しかも子供だし・・・隠すほうがよっぽどリアルなのに。。 でも、今回のヒロインには“奇跡”が起こらないという点には感心。この設定を通して、チャンは底辺民衆の厳しい環境を誠実に描写しているのではないでしょうか。次に、盲目の彼女が、カメラ/映像ではなく、テープレコーダー/音楽のほうを娯楽と心の支えにして生きてきたと設定されている点。この設定を通して、チャンは、“映画の奇跡”が及ぶ範囲の限界を認めたかったのではないでしょうか。 映像を通して気がつかせてくれます。「幸福の時」が如何なるものかを…。心に染み入る余韻はありました。巷の評価が今ひとつだが歴史的名作だと思います,個人的な打算で相手を翻弄し、また自分も翻弄される一種残酷な人生に、かけがえの無い人間の誠実さを取り戻そうと登場人物が垣間見せる一瞬の美しさが、何気ない淡々とした映像表現の中で、ささやかに、ほのかに光る。 それが打算から出たものか、真心から出たものかもわからないし、その小さな幸福を胸に、ある意味絶望的な将来に向かって旅に出る少女の姿もとてつもなく心細いのだが、真実とはそんなものだろう、と言う感じがしてリアルそのものです。 エンドロールになって、少女が盲目のままチャンとその仲間たちとの幸福の時と光景の思い出を大事にしながら強く生きていこうと出て行った後のシーン。極めて美しいのみならず、観客にその幸福を願わせる気持ちが生まれる余韻を含んでおります。 気になりますね。 あの後、彼女はどんな決意で旅立って行ったのか。 どんな、明日を、未来を迎えていったのか。 観る度に、自分のなかで色々と想像したりしています。彼女のこれからを。