枝豆、大どんでん返し?
おととい、そろそろ「ほんとの」秋の種まきを始めるにあたって、もう駄目になった枝豆を整理しようかと畑に行ってみたら、なんと、ほぼ、あきらめの境地に入っていた枝豆が、実を膨らませていた。 で、今日、収穫してみた。結構いい感じ!でも・・・ 葉っぱはこんな感じ・・・ 思うに・・・葉っぱを毛虫に食い荒らされた枝豆さん、何とか子孫(=命)を残そうと、最後の力と養分をつぎ込んで、実を膨らませているのではないだろうか?もしそうだとしたら、涙が流れるほど感動してしまう。まぁ、自分が今、父親してるから、その気持ちを投影しているだけかもしれないけどね。 なんて考えると、また食べられなくなってしまう・・ 全部大豆にして、来年また畑に帰してあげたくなる。ま、そんなことしてたら畑がいくらあっても足りないので、とりあえず少しいただくことにした。 うま~。「命」をいだだく気分でした。合掌。 そうそう、あきらめていたトウモロコシ、なんと食べられた! アワノメイガと台風に伴う強風で倒れたトウモロコシ。整理するに当たって、残った未成熟の実を「どうせ虫に食われてんだろ」と処分しようとして、念のため皮をむいてみると、予想に反して小さいながらもきれいな実がびっしりと詰まっていた。 さっそく、この唯一の収穫を茹でて子供たちに・・・ 争うように食べてくれた。いつももっとおいしそうで大きなトウモロコシを、たらふく食べているのに、いつものように 「うちの畑でできたものはおいしい!」と・・・。 ね、おいしかったのがわかるでしょ?(笑)立松和平伝説価格:2,310円(税込、送料別) きっかけはなんだたかな?図書館で自然農とか「農のある暮らし」とかの本を読み漁っていたら、立松和平の本に行き当たった。 今は昔、22歳の頃、沖縄は与那国島へサトウキビ刈りに行ったことがあるのだが、そのとき知ったのが立松和平。彼もまた、その数年前に与那国へキビ刈りに来たそうで、私の住み込んだ家の親戚の家に住み込み、「サトウキビ畑のまれびと」という本を書いていた。 その後、テレビ「ニュース・ステーション」での、あの独特の栃木なまりのレポートをなんだか近親感を持って見てはいたが、彼の小説は、なんとなく肌が合わず、多くを読むことはなかった。 去年には、なんと、うちの店の向かいの集会所に、町内会の有志でやっている講座の講師として来られたのだが、仕事も忙しく、ずいぶん、そういう「ものごと」とは疎遠になっていたので、話を聞きに行くことはなかった・・・そして・・ 今年、彼は帰らぬ人となった・・・ たしか、まだ、60歳をちょっと過ぎたあたりのはずだ。「早すぎるな・・」などと気には留めていたが、それ以上のことはなかった。 そして今、改めて彼の歴史を読んでいたら・・・ 全共闘、団塊の世代、インド放浪、北海道、知床、沖縄、そして仏教・・・まさに私の青春のキーワードが亡霊のように現れてきた。「そうだったんだ・・・」 彼もまた、一度は「社会運動」と「自分の人生(=作家)」に挫折し、公務員生活を送っていた(その直前、身重の妻を残しインド放浪へ(!)、そして仏陀との出会いを得る)。 ただ彼はその後、作家としての自己を再び取り返す。だから、彼の人生を自分の人生に重ね合わせて思うのは、ぜんぜん無理があるし、足元にも及ばない。しかも、私は団塊の世代から一回りも下で、「あの時代」にははるかに乗り遅れ、もはや「しらけ世代」と呼ばれた世代で、ひたすら「学生運動の熱狂」にあこがれながら、中途半端に人生を費やしてきただけだ。 でも、彼が歩んだ道が、「手に取るように」とは言わないし、また、誤解の上に成り立っているのかもしれないが、やはり、すこぶる大きなシンパシーを伴って、私の人生に重なり合ってくる。 ジョン・レノン、ボブ・マーレー、ジャコ・パストリアス、マイケル・ジャクソン、カレン・カーペンター、宮沢賢治、坂本竜馬・・・・ 私の持論は「天才は早死にする」。人生において「時間×農密度」は、全ての人に平等なのかもしれない(ちょっと極論に過ぎるか?)。でも、できうれば、かれらに、もっともっと長生きして、もっともっと我々をインスパイアーして欲しかった。 う~ん、どうやら感傷的になりすぎな上、話の脈絡が支離滅裂になってしまったなorz 今日は、早朝に、ホウレン草とつぼみ菜、残っていたサニーレタス、昼には聖護院ダイコンと普通のダイコン、それにまたまたニンジン、小松菜、そして残った畝にレンゲの種を蒔いた。 種まきはいい。明日へ向けての希望にあふれている。たとえその先、どんな現実が待っていようとも・・・ でも、川口一由さんは言っている「すべての生命は、良い方向へと向かうものだ」。と・・・雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテイル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキ小屋ニイテ東ニ病気ノ子供アレバ行ツテ看病シテヤリ西ニ疲レタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ南ニ死ニソウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイウモノニワタシハナリタイ 久しぶりに読んだ・・というか、ちゃんと読んだのは数回かな? 泣いた。この年になって、やっとこの詩に、心が共鳴できるようになったようだ・・orz 「怨を持って怨に報いれば、怨やすむところを知らず」 わかっちゃいるけど、現実の生活では、実行できないんだな・・・ああ、明日も仕事だ・・