いやなよかん。
嫌な予感。編集する 2008年01月18日21:02 父方の母の家庭の面々が、死に行こうとしています。気のせいだと思いたい。出来れば気のせいであって欲しい。 曾祖母は御年100歳の喜寿も米寿も超えた長寿人。しかし数年前に足を挫いてからは、歩き回ることの叶わぬ身に。和室の一室から外へ出ることが無くなって以降、段々と耳も遠くなり、話が通じなくなりつつありました。 祖父は甘い物好きで私が物心つく前から糖尿病を患っており、昨年度はその病のせいで視力が極端に悪化し手術をし、なんとか元の視力に回復はしていました。 祖母は健勝そのものでした。 だけど、祖父の糖尿病が昨年度末から悪化して、それに伴って祖父の家庭の面子は皆一様に死に向かい行くかのように沈みがちになっていきました。 祖母は入院した祖父と家にいる曾祖母との介護に追われてどちらにも対応するのが大変になってきたので、曾祖母を老人介護施設に預けることにしました。 しかしそうしてみて一日二日経ってすぐに、曾祖母は体調を崩し病院へと運ばれました。今も全くこちらの呼びかけに答えず、ご飯も食べず、酸素吸入をしているようです。 そして祖母は、段々と痴呆の気が出てきました。こちらの呼びかけや問いかけと異なる回答を寄越すため、私の母などは相当に焦れています。周囲の人間にも沢山の迷惑をかけている様子。そしてこの病の悪いのは、本人に悪気が無いところ。母など怒り心頭で日々祖母の愚痴を零してきます。母も身内の介護に追われているのでただでさえストレスが溜まっているので、帰宅してきた私や父に愚痴でも零さねば気が収まらないようです。分かっていても、愚痴ばかり耳にすると溜息が漏れ、自然と鬱々とした気持ちになってしまいます。これぞまさしく悪循環。 人はいつか死に行く定めにあって、生まれた時から既に「死ぬために生きる」という矛盾のような使命を抱えています。 元々昔から思っていたのですが、周囲の人間に迷惑をかける位なら、そうなる前に私はこの世を去りたいなぁと改めて感じています。普段人にかなり迷惑をかけて生きているので、せめて最期くらいは『立つ鳥跡を濁さず』でありたいものだなぁ、と。 祖母の現在の姿や、曾祖母の今後、祖父のこれからを考えると哀れみと呼べば良いのか、何と言えば良いのか、複雑な気持ちになります。 時折、全てを終わらせてあげたいとさえ、思ってしまいます。勿論、そのようなことはどうしたって自分には出来ないって分かっているんですけれど。 今側で、母や父が曾祖母の葬式が近いとしたら私の礼服を買わねばならないという話をしています。 悲しいなぁ…。 この前、老人介護施設に行く直前、母と一緒に曾祖母に会いに行ったのですが、親戚も居合わせたために碌に話もしなかったのが悔やまれます。家に帰ってから、「写真を撮っておけばよかった」と思いましたが、「大丈夫、きっと元気に帰ってきてくれる」と思うことにし、諦めました。これも悔やまれます。 去年、母方の祖母の家で飼っている犬が痴呆になり、何度も家から脱走を試みたことがありました。私が行った時には、何とか連れ戻すことが出来たようで再会出来たのですが、「次に来た時には会えないかもしれない」と思い、写真を撮っておきました。そうしたら、新年の挨拶に祖母の家へ訪れたところ、やはり私が会いに行った数日後に頑丈な檻を破って失踪し、それ以降家に帰っていないのだそうです。 曾祖母もそうなってしまうんでしょうか。 祖父は、いずれそうなってしまうのでしょう。 …複雑な気持ちになります。人の死は、どうしても胸に痛みを残すものです。