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カテゴリ:web/media
↓ 以下は私自身が運営する他のブログからの引用である。
不具合が発生していたのは私のところだけではなかったようなので一安心した。exblogは人気が急上昇しているということだろうか、誰かの悪意に基づく不具合でなかったことが判明したのは私には幸いだったが、それにしては私のブログの復旧は今日(3/27)になってからだから数日遅れということになる。 私が今回の投稿不調で改めて確認したのは、我々ブロガーはあまりにもどれか一つのブログに拘泥・溺愛し過ぎて投稿・閲覧をそこのみへ偏重・集中してはいけないということだ。我々は各ブロバイダーに依拠してその場をちょっと間借しているだけの儚い存在に過ぎない。 【本家ヤースケ伝】という某ブログなどはその良い例だ。私が2009年に書いた或る記事に対してどこの誰かは知らないが2年も経ってから一方的なクレームがついて、このクレームに怯えた編集部は私のブログ全体を突如閉鎖→閲覧不能にしてしまったのだ。読者は元より私自身も立ち入り出来ない。しかもブログの閲覧や書き込みを復活させたかったら、問題箇処のみならず当日の投稿記事全部を削除せよとの条件まで付けて来た。これには驚いた。先方は規則違反・倫理規定違反を云々して、私がその日に「投稿したという事実」そのものを歴史から抹殺しろという指示・命令なのだ。 「あったことをなかったことにしろ!」というのだからこんなのは(誰かの言葉を借りるならば)『ナチスもやらなかった暴挙』そのものである。その日の記述には京都の【納涼床】関連の小コラムもあって、これなどは文句の付けようもない平凡そのものの(平和ボケとでも言いたいくらいの)内容だったのだから、この部分まで削除しなければならない【合理的】根拠などどこにもないのだ。 私は自分なりに節度をもって記事を書いている。自分が直接見聞きしたことではない懸案に触れるときには、あくまで『伝聞推定』の形で書いているのだ。だから編集部からの問答無用で暴力的な威圧・威嚇に反発して、2年以上その削除要求を無視し続けて来たのだが、どういう風の吹き回しか、つい先日ふと削除にあっさり応じることにしたのである。別にそのブログを失うことが心底惜しまれたというわけではない。「不当な要求に応じることを拒否してもしなくても(私の言い分は通らないのだから)結局同じことじゃないか」と改めて感じ入っただけのことなのである。いや、むしろそこは私が10年前後もの間続けて来たブログであるが故に、自分では消し去ってしまいたいくらい気恥ずかしい内容の記事もたくさん存在するのだ。 ともあれこうして先方の指示する通り私は記事の全文削除に応じたのだが、向こうはまだ何か文句を言い足りないのか、私の『本家ヤースケ伝』というブログは今現在に至るまで未だ公開されておらず「確認中」だそうだ。 ============ ↑ 以上の一文はexblogの『ヤースケ伝AAA』という私のブログへ昨日投稿したもの(一部加筆訂正有り)だが、今日になってまたそこの編集画面には入れなくなってしまった。これは編集部または悪意ある第三者の意図的妨害行為だろうか。編集画面に入れないのではこちらは当面新規投稿も加筆訂正も何も出来ないので困る。 それで文中先方の言う目下『確認中』の意味について私は後で少し考えたが、ひょっとすると先方は、私が本当に問題の記事の削除に応じたのかどうかを頭から疑ってかかり(←他の場所に移し代えただけではないか云々と)それで私の当該ブログ内を隅々まで隈なく調べ回っているのではないかということである。いやもしかしたら異議を申し立てた張本人に「これで宜しいでしょうか、旦那様?」とお伺いを立てているのかもしれない。いずれにせよご苦労なことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年03月28日 11時55分27秒
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