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「物神崇拝」は自動変換されない。「ぶっしん」は「物心」しか出て来ないのである。ともあれこの言葉は「ことばんく」にはこうあった。 ↓
世界大百科事典 第2版の解説 ぶっしんすうはい【物神崇拝 Fetischismus[ドイツ]】 ただの石にすぎないような物に呪力や神的力を感じ,それを拝んだり祀ったり,それに異常な関心を抱くことを一般にいう。フェティシズムともいう。資本主義経済において商品や貨幣,資本が人々を動かし,人々の経済活動を支配し型にはめる力をもっている点に注目してK.マルクスは,この力に上記の関係をみてとり,資本主義経済(商品,貨幣,資本)の物神崇拝的性格と名づけた。すなわち,さまざまな労働が直接相互に社会的分業として関係づけられる経済(たとえば,社会的に必要なさまざまの労働への労働配分が直接,協同的に計画的になされるような経済体制)を正常なものとすれば,売れるかどうか,いくらで売れるか,もうかるかどうかでしか人間たちが動いていかない資本主義経済は,正常なものとは対照的である。 ============ 以上引用終わり。 これはいわゆる「フェティシズム」であり、本来は原始社会などにあって巨木や巨石など自然物を対象として崇め奉る行為を指すのであるが、私などはマルクス主義の用語として現今の「貨幣経済」を述べる際の定冠詞のように使っている。畢竟貨幣は「モノ」に過ぎない筈だが、この貨幣経済にどっぷりと骨の髄まで浸かっている我々は、この絶大な威力を持つ「モノ」をまるで「生き神様」であるかのように日夜崇拝して生きているのだ。そしてこの崇拝行為には貧富の差も身分の差も介在しては来ない。 今朝の朝日放送(テレ朝)でも冒頭韓国の悲惨な水難事故に関連し、その船会社を掌握する大財閥のトップらに対して厳しい論調を継続していたが、「金儲け第一主義に走った新興宗教」にしろ「財閥の金儲け最優先主義」にしろ、これらは我々の一般社会に於いて一般的に広く行われている行為であり、彼らだけが格別「氏素性の悪い連中」だというわけでは決してないのである。ただ船長にしろズボンを脱いで一般客のように装って我先にと救出されるなど、彼ら乗船員らの「乗客見殺し」の行為が常軌を逸しているということなのである。「貨幣経済」が究極的に行き着く先が「他人のことなどどうでもいい。自分たちが繁栄すれば後は野となれ山となれだ・・」ではないと、果たして誰が言い切れるだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年04月29日 11時55分38秒
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