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テーマ:映画館で観た映画(8563)
カテゴリ:極上の暇つぶし 映画
重松清原作、阿部寛主演、中西健二監督。
なんとなく観てみたくなりました。 それほど好みなジャンルではないので、映画館で観ておかないともう観ないかも?とも思って。 静かな、多くを語ろうとしない、いい映画でした。 大きな事件も起こらない。 事件はすでに起こった後。 病休の担任の代わりに赴任して来た村内(阿部)。 もの静かで、やや猫背に、とぼとぼと歩く。 初めての朝、きれいに揃った席順の図と、一人も欠けていないクラスを見渡す。 「卑怯だな…」 そして、ある生徒の机を日直に戻すよう促して… ファンタジーかも知れない。 何しろ村内は、しゃべりが商売ともいえる教師、国語の教師なのに吃音があるという異色の設定。 毎朝、もう転校してしまった生徒の机に向かって、声をかける。 「これは罰ですか?!」 生徒たちは動揺し、戸惑い、また村内の吃音をあざ笑ったり。 でも村内が意図しているのは、罰でも嫌がらせでもなかった。 こんなにも言葉少なく、多くを問いかけて、静かで見事な作品だと思いました。 <追記 少しネタばれ注意> 事件というのは、いじめによる自殺未遂。 事件後、クラス全員が何枚もの反省文を書き、すでに被害者は転校しています。 学校は、「再生」に向けて「一丸となって」努力中。 この努力の方向が疑問なのは、現実によく見かけることです。 「終わったこと」を蒸し返すような村内の行動に、苛立った「主犯格」の生徒たちが殴り合いをする場面があります。 「俺だけが悪いのか?」 また、 「そんなひどいことをしたんだろうか?」 「あいつは笑っていたじゃん…」 加害者となった生徒たちの間に、その時に話されておくべきことだったものが、置き去りにされていることがわかります。 加害者はひたすら反省を求められるので、よほど力量のある指導が入らないと、起こりがちなことの気がします。 事実に向かい合うこと。 とても大変で、辛い、そのことだけが、再生と、再び歩き出す一歩を生むのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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