(その5)NY旅行レポ:夜のマンハッタンを駆け抜けて
夜のマンハッタン島は対岸から見ると魔性に満ちている。銀河鉄道999に出てきそうな「機械化要塞」ばりの不気味な輝きだ。ニュージャージーからマンハッタンへはハドソン川地下を横断するトンネルが2本通じている。ホートリーに近いのは「リンカーントンネル」だ。高速道路のジャンクションのような道をグルリと迂回し、車は料金所を通過してトンネルに入った。 「敵の本拠地に突入するみたいだね!」と1人興奮する僕を、同行者サワラビがまたもや「ナイーブ」と一蹴した。あんただって初めてアメリカに来た時は夢見る乙女だったと言ってたじゃないか!と突っ込みたかったが、まあいいや。かくして我々はマンハッタンに「侵入」した。 マンハッタンに入ったという事はニューヨーク州に入ったという事。州が変わると道路交通法規も変わるし、法律も違う。さらには消費税も変わるのだという(後で調べたら州だけでなく市ごとにも違うみたい?)ニューヨーク市は8.625%だけど、ニュージャージーは6%と安い。しかも靴や衣類は非課税。それゆえ週末にはニューヨーク市民がハドソン川を渡って大挙ニュージャージーまで買い出しに行くのが1つのレジャーらしい。アウトレットモールはそれで結構繁盛しているそうだ。川をはさんで別の国みたいに「内外価格差」があるなんて、面白いなあと思った。 話を元に戻そう。トンネルを抜けて視界が開け、マンハッタンの街を初めて見た時、なぜか街全体が灰色っぽく、くすんで見えた。ニュージャージーは新興都市で街全体が広々として明るい、新しいな、と感じたが、マンハッタンのビルディングは一様に古く、日本の東京丸の内で多く見られる「ビルヂング」と表記した頃の昔のビルと同世代っぽい雰囲気を持っていた。そんなレンガ造り、また重厚な石造りの建物が、歳月を経ていい味を醸し出している。見かけだけ昔風の建物もあったかもしれないが、本当に古くて年季が入っているビルが大半のように感じられた。 車はマンハッタンのどこかの大通りを走り、「ビレッジ」という場所を抜け、チャイナタウン方面に南下。途中、街行く人達が視界に入って来たのだが、実に面白い。人々を観察しているだけで飽きない。道を歩く人、オープンカフェでくつろぐ人、会社帰りで帰路を急ぐ人。白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系、人種の様々なバリエーション。ニューヨークは世界中の人種が集まっているのが分かる。 (「人種」についてはまた詳しく書く予定) そうこうしているうちに、車はマンハッタンからイーストリバーを越えた。向かったのはブルックリン地区の入口、ベッドフォードアベニューという所。この街にはサワラビのベストフレンド、サトウちゃんが住んでいて、我々はニューヨーク滞在期間中、お世話になることになっていた。我々は彼女のアパートに無事到着、呼び鈴を押すと待ってましたとサトウちゃんが降りてきて、ウェルカムしてくれた。マイケルとはここで別れ、3日後に一緒にヤンキースの試合を見に行くことになっていたので、感謝の意とまたよろしくと伝えた。 アパートは、これも映画で見覚えのある典型的な、建物は縦長で3階立て、かなり古め。1Fは店舗が入っていて、脇に狭い共用の玄関がある。ドアを開けて入るとすぐに急勾配の階段があり、各階に1世帯ずつ借りられるようになっている。呼び鈴は「ジリリ~ン」という火災報知器みたいな音が鳴って、住人がオートロックを解除すると入れるというしくみである。部屋の中はうなぎの寝床みたいに5つの部屋が縦につながっていて真ん中にはキッチンがあった。ルームメイトなどとシェアして住むのを目的に作られている気がした。 サトウちゃんはついこの間結婚して、旦那さんと2人で暮らしている。旦那さんも我々と会うのを楽しみにしてくれていた。旦那さんはイタリア系のアメリカンで、祖父母の代にアメリカに来たのだという。ミッドタウンの出版社に勤め、エディターをしている。大の日本びいきで、焼酎の「いいちこ」が飲みたいとのリクエストで、日本で買ってプレゼントしたら大喜びだった。 サワラビとサトウが久々の再会に話を弾ませている横で、僕と旦那さんは並んでリビングのソファに腰掛けた。やばい、お世話になるし、ナイスにしなきゃ・・・。見つめ合って笑ってるわけにはいかないし、今までアメリカにいながら韓国語で事足りて安心しきっていた脳のOSを、リブートして「英語」脳に、持てる力を総動員してコミュニケーションモードに切り替えた。 お決まりの挨拶から、今日はどこ行った?、UnitedStateはどうだ?、兄弟は?、趣味は?なんて会話を続ける。うん分かる分かる。来る前にあわてて『TOEICテストへはじめて挑戦!まずは350点』(英語難民救済センタ)という本を買って勉強したが、おかげさまでこの程度のコミュニケーションは大体聞き取れるくらいの力はついていたのでかなりホッとした。なんとか楽しい会話になったのではないだろうか。ちょっと英語に自信を持った。 ところが、聞き取れたのは、彼が優しい単語と表現を選び、ゆっくりめに話してくれていたのだと、後で悟った。次の日、勘違いして、僕は話す気マンマンでスキッドの主人公になりきって実践英会話を試みようと、地下鉄の切符売り場で行き先を聞いてみたが、案内員の話す早口の英語に全く反応出来ず、いともたやすく出鼻をくじかれた。動体視力ならぬ、「動体聴力」が無反応、ボクシングのリングで、ゴングが鳴っていきなりガツンと殴られたくらいのショックを受けた。実践はやっぱり違うわ~と痛感。後日マクドナルドでハンバーガーを頼むのさえまともに通じないし、聞き取れなかったのにはさすがに落ち込んだ。(マックはだいたい黒人の店員が多いんだけど、愛想笑い一つなく容赦のない早口でびびった)。 この後、サワラビ、サトウちゃん、旦那さんが英語で色々話をするのをうんうんと聞き、そろそろ寝なきゃという時間になって、ようやくベットに横になったら既に午前3時だった。 長い1日はこうして終わった。