やりきれない気持ち
今日も早く目覚めた・・・ま、健康的にいっちょ起きて、買物やらクリーニング屋やらに行ってきた。たまってきたメールの返事を書く事に。イギリスにいる高校からの友人の返事を書いていると・・・先生の死についてふれた所で、そのままいろんな思いが交錯してしばらくじーっと固まってしまった。足跡をたどりたくて、今のPCに残っている彼女から私達へのメールを読み返してみた。その時は大手術から、そして闘病1年経ったところだ。2004年のお正月:“のほほんと過ごせる時の ありがたさ”告知から1年、乗り越えて仕事もバリバリ軌道にのっている:“「患者らしくない」生活をしています。というより、「患者でいたくない」が本音かな”4月初、がんの肺転移が発覚し入院を繰り返しながらも仕事を続ける:“最低生活費と治療費ぐらいは稼いでます~「働きすぎちゃう?」と師長に言われると、「何いうてんの。私の稼いだ分、病院が吸い取ってるくせに。」と言える関係~病院生活も満喫してます”4月末、担当ナースへの怒り:“このNsが、私の看護計画を立てていたのかと思うと、ホンマ「とほほ。」の一言です。闘病なんていうけど、私は何と闘ってるんだろう”5月初、私がイタリアに来て3年、真剣に人生を語ってしまった時の返事:“たまには「自分らしく生きるとは」をテーマに、マジに語るときがあってもいいと思うよ~たとえ時差や距離があろうと、こうして貴女からパワーをもらえる環境にあり、私も、私らしく、私なりの『飽くなき野望』を抱いて、がんばるね!”5月末、メンバーの1人が出産したことを受けて:“誕生は「ブラボー!!」の一言に尽きます。講義では、タブー視された領域に踏み込んで「命とは何か」や「生き方の質」について考えています。ちなみに、今日のテーマは『現代っ子の孤食』でした”6月、イギリスにいるメンバーの1人が日本帰国時の集まりに参加した時:“「闘病」といっても、好き放題してるのでイマイチ自覚がないのですが・・・長生きしてたら良いことあるよなあ、とじんとくる、ひとときでした。感謝、感謝です!~見せてくれた写真(私がイギリスに行った時の)も、「今にも飛び出してきそうやねえ。」と、パワフルさがにじみ出ていましたよ”7月末、メンバーの1児の母が写真を送った時:“それにしても、暑いネエ。大学は試験も済んで夏休みに入っています”・・・これが最後のメール。それから2ヵ月ちょっとで、彼女は逝ってしまった。ああ、最期はどんなんやったんやろう、ご家族の方はどんなに辛かったやろう、何より、本人が無念だったに違いない・・・。イタリアでも大きく報道された、日本のインターネットを通じての集団自殺。そんな人もいっぱいいるのに、まだまだ夢もやる事もありすぎたくらいの彼女が何で死んでしまわなくてはアカンのやろう・・・言ってはいけないかもしれんけどそんなら彼女にその命をあげてくれ、と思ってしまう。そんな事を考えていると、涙があふれてきた。おじいちゃんの死の時はまだ悲しいにせよ年だから仕方ないとか納得できたのだが、同年代の近しい友人の死は、日を重ねるごとにやりきれない気持ちが強くなって私も混乱している・・・結局、午後はこんな風に泣きながら過ごしてしまった。最後には、こんな事じゃ“アンタ、何泣いとんじゃい”と空から怒られるわ、とはっとして涙をぬぐった。彼女も分まで、強く幸せに生きていかなければ。