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2017.12.31
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カテゴリ:Around Jun

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  4月

     【10日】 人が変わったような違和感を感じる。ステロイドでムーンフェイスが進んだのか、

           顔のシワがなくなりつるりとしている。                              attachment4

     【11日】 幻覚が出始める。レントゲンの番号だと言う数字をつぶやく。

     【13日】 無呼吸に気づく。20秒くらい。

     【14日】 個室に移る。使っても痛みは同じだからと、モルヒネのワン・ショットをあまり使いたがらず。

     【16日】 「本当に死ねるのかな」。思考力、記憶力の低下。点滴からのモルヒネを増やす。

     【17日】 話がかみ合わないことがある。         attachment2

     【20日】 横になっていると頬がこけ、目が窪んだのがよくわかる。46.5kg

     【21日】 ステロイドのムーンフェイスが引いた。

     【23日】 トイレの帰りの足取りが速い。痛くてたまらないのだろう。                             attachment1

     【24日】 初めて尿瓶を使う。

 attachment1   【27日】 彼から最後の電話。自力で歩いてのトイレも最後。

     【28日】 混乱強し。喋ることの意味、ほとんどわからず。5月いっぱいは無理と主治医。

          
葬儀屋へ相談に行く。       

  5月                  attachment2

     【2日】 モルヒネ20から25投に。病理解剖承諾書にサインす。

     【3日】 箸使えず。                                      attachment2

     【7日】 病室で主治医と最後の煙草。「もう(煙草は)美味しくない」モルヒネ30投。

     【9日】 病室へ泊まり込み開始。

     【10日】 暴言を吐く。

     【11日】 「やっぱり一人で死んでいくのは怖い」初めて聞く弱音。

   attachment1 【17日】 血圧が高い。上が140~150

     【18日】 足の甲がステロイドにより、皮下出血で紫色に。                   attachment4

     【20日】 皮下出血、腕にも。

     【23日】 起き上がった時の顔、別人のよう。

     【24日】 患部のガーゼ(※1)を、痒みのために無意識にはがす。

     【25日】 手がとても冷たい。足先も、唇も。

     【27日】 38.5kg                       attachment1

     【28日】 モルヒネの影響で骨がもろくなっているため、骨折しやすく免疫力はゼロなので、

           それが一番心配と主治医(執刀医)。再び新聞を読みだす。

     【29日】 起きている時間が、少しずつ短くなってきた。                 

      ※1 頸部に再発した腫瘍が増大し、皮膚を突き破って体の外へ出た。

         強い痒みで掻きむしってしまうため、時に出血を起こす。

  6月

     【2日】 夢と現実の区別がつかず、戸惑っている様子。昼間の方が意識がはっきりしている時間が長い。  

          「〇〇川に骨を」「今はとても心が静かだ」お尻の布団が当たる部分が痛い様子。                 attachment1

     【3日】 TVも観る気力が出てくる。Kさん(親友)に手紙を書く。

     【5日】 夜になると、混乱が一層激しい。あまり水を飲まなくなった。

     【6日】 昼間は比較的正気。       attachment1

     【7日】 ガーゼを頻繁にはがし、イタチゴッコ。混乱が激しい。

          夜の排尿時、ベッドの縁から床へ尻もちをついてしまう。

     【8日】 羞恥心もプライドも、どこかへ行ってしまう。夜9:30自力での排尿が最後に。       attachment1

          10:50導尿カテーテルを入れる。支え無しでは座っていられない。

     【9日】 眠っている(目を閉じている)時間が長くなる。起きている間はほとんど激しい混乱。

          私と息子の名も忘れる。急に食べ出す。   attachment3

     【10日】 早朝、点滴を抜いてしまう。

     【11日】 心拍モニター装着

 attachment1   【12日】 腕の血管の確保が困難になったため、点滴を足に。発する言葉も全く理解できない。

            病室で看護主任と話していたら、急にベッドから起きようとし、

          クッションなどで支えてしばらく体を起こしていた。

     【13日】 一度も目を開けない。ストローが使えなくなる。

     【14日】 意識がはっきりしない。水を飲まない。ガーゼを剥がす力も無くなった。

     【16日】 目は時々開く。私の認識ができた。体位交換の時、自分で体を横にずらしたりする。

     【17日】 尿量が減る。呼吸2回(※2)。無呼吸55秒から1分以上。血圧98。          attachment2

      ※2 10秒間にする呼吸の回数か?

     【18日】 呼吸たまに4回。自力で楽な姿勢になっている様子。ほんの一瞬、私に手を差し伸べる。

     【19日】 「息子が来た」と言うと、一瞬目を開け、うれしそうに笑う。呼吸3~4回、

           無呼吸30~40秒。尿が白濁。
チューブを入れるとどうしても濁ってくるとのこと。

          水が上手く飲めないが、桃は食べる。キスしたら微笑む。

          血圧98/53。心拍80台。               attachment2

     【20日】 全く起きないために水を飲ませられない。胃の辺りが固くなっている。

     【21日】 呼吸2回、無呼吸45秒。尿に血の塊。辛うじてYES・NOの意思、うなづいたり首を横に振ったり。

     【22日】 眠っている様子が弱々しく感じる。呼吸2~3回、無呼吸50~55秒。

 attachment2         夜は無呼吸が無くなるほど呼吸が浅い。

     【23日】 左足がむくむ。舌が落ち込み、呼吸の妨げになる。解熱剤のため、血圧60台。瞼も少しむくみ、

           一度も目を開けない。

     【24日】 氷を唇にあてると舐めようとする。夜、声をかけると、「なに?」とでも言うふうに、眉を上げる。下

           がったままの下顎、何か言いたげに動く。                        attachment1

     【26日】 上司の呼びかけに、口を動かす。夜私の呼びかけに、目をつむったままで瞬き、口を動かす。

     【27日】 血圧70台、血尿少な目。

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        ★☆━━━━━━━━━━━━━☆★

 

      28日早朝、病室に持ち込んでいたカメラに、まだ1枚だけフイルムが残っていたので、夫の寝顔を撮り、

      カメラを持ち帰った。自宅で家事をしていた時に病院より連絡があったが、間に合わなかった。その写真      attachment1

      の存在は、フイルムを現像に出してもすぐに思い出さなかったほど、彼の死後しばらく忘れていた。と

      いうのは、現像ができてからもその写真をいつ撮ったのかをすぐに思い出せなかったのだ。通夜や葬儀

      やらで忙殺されていたせいだと思うが、その事実を思い出した時はなんという偶然だろうと、ビックリした

      ものだった。撮ったのは亡くなる1~2時間前だと思うが、そうとは知らぬ別れの朝に、フィルムが残って

      いることに気づいた。まるで生きている夫との別れのために、1枚残っていたかのようだ。


      レポート用紙を読み終えて、
「可哀想に…」と思わず口をついて出た。最後の入院期間は約3カ月。なぜ

      もっと、無用な苦痛や激しい混乱の時間を短くしてやれないんだろうと、今さらながら思った。けれど日本

      ではおそらく、これが「消極的安楽死」の限界。

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      1991年の東海大学安楽死事件の横浜地裁の判決では、医師による積極的安楽死として許容される

      ための4要件が挙げられた。             attachment1

         ■ 患者に耐え難い苦痛がある        

       ■ 死が避けられず死期が迫っている        

       ■ 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない        

       ■ 患者が意思を明示


      夫の場合、診断時がすでに末期癌だったこともあり、早い時点で主治医へ重篤に陥った場合の処置に

      ついての意思を伝え、主治医はそれをカルテに書き記した。一切の延命措置をせず、疼痛コントロー

      ルなどの緩和ケアのみを希望すると。(リビング・ウィルについては、病院側だけでなく身内にも伝えてお

      くことが重要かもしれません)

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      「たとえ自力で食べられなくなっても、食事は出します」と、最後の入院時に医師が言った。食事が出され

      ないことによって、生きることをあきらめないようにと。病室でタバコをだなんて半ば冗談のように思った

      が、主治医はまるでいたずらっ子のように、ナースステーションから検尿用の紙コップに水を入れて持って

      きた。窓を開け放ち、引火したら大変と酸素吸入の酸素を止め、病室の入り口を閉めた。喫煙者の主治

      医に勧められ、3人で病室で吸うたばこ。何を話しただろう。夫が笑顔だったことを覚えている。               attachment2


      また、私が夫と意思の疎通を少しでも長くとれるよう、モルヒネの投与量を急激に増やさないようにしま

      すとも言っていた。そんなことを考慮してくれているのかとありがたかったが、彼の苦痛を緩和すること

      との兼ね合いがどうなのかは、医療知識のない私にはわからない。

       
attachment2     3カ月の間のいつ頃のことだったかはもう知る術がないが、ある看護師が言った。「〇〇さんには、看護

      師全員がすごいと驚いています。あの量のモルヒネを使うと、普通はもう一日中眠ったままになるんです

      よね」と。彼がまだ30代という若さゆえなのだろうか。意識が混濁した患者本人にとってはどうなのか、判

      断は難しい。        attachment1


      ホスピスではなく一般の外科病棟で、患者を看取る家族の精神的な苦痛の軽減までも考慮された、医療

      的ケアの在り方としてはとてもありがたく、素晴らしかったと思う。そしてそれは医療体制というよりは、医

      や看護師個人の資質による部分が、どれほど大きかったことだろう。つまり当時の私たちは、今思い

      出してさえしみじみと感動すほど、「人」に恵まれていたのだった。

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      このレポート用紙の内容は、ただ夫の状態を事務的に書き出しただけだが、主治医や看護師、親友、職

      場の同僚や上司、そして親戚。闘病の2年間には、本当にピンからキリまでの人間模様のエピソード

      がいくつもある。それを記した日記を、私は10年前の12月に処分したのだ。大まかなことはまだ覚えて

      いるが、細かなことは忘れてしまった。亡くなった頃は、些細なことさえ忘れるはずがないと思っていたけ

      れど、忘れるもんですな…。          attachment1

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これは、ジョージア(旧グルジア)に現存する金属の彫像です。

 

 

 

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   Powerd by 素材屋・風と樹と空とへGO?






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最終更新日  2019.12.30 08:25:26
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