クロディーヌ・ファーブル=ヴァサス『豚の文化誌―ユダヤ人とキリスト教徒』
クロディーヌ・ファーブル=ヴァサス(宇京頼三訳)『豚の文化誌―ユダヤ人とキリスト教徒』(Claudine Fabre-Vassas, La bete singuliere. Les juifs, les chretiens et le cochon, Editions Gallimard, 1994)~柏書房、2000年~ 民俗学者ファーブル=ヴァサスが、豚の分析を通じて、さらにはユダヤ人やキリスト教徒の豚に対する態度、キリスト教徒によるユダヤ人に対する態度などを考察する研究の邦訳書です。 本文・註は二段組みで、あわせて300頁ほど。 読みながら、原著自体も読みにくいのだろうなぁと想像しましたが、邦訳も今の私にはどうも読みにくく(割と直訳風のような)、流し読みの部分も相当あるので、十分な紹介はできませんが…。 まず、本書の構成は以下のとおりです。ーーー序文 第一部 類似した存在第一章 赤男第二章 子供の世界第三章 変身の円環 第二部 一つの血から他の血第四章 ユダヤの雌豚第五章 赤い復活祭第六章 老ユダヤ人と若いキリスト教徒第七章 小ユダヤ人 第三部 キリストの肉第八章 豚の復帰第九章 魂と血第十章 骨が歌う供儀の時期本書で引用した文献原注訳者解説索引ーーー まず、邦訳書として残念だったこと。それは、原注に載っている文献全てに邦訳があてられていることです。たしかに、原著で参考にされている文献がどんなものなのか、日本語で書いてくれていたら分かりやすいです。しかしそれでは、註に引かれた文献を探すのに苦労します。たとえば、E・ゴワヌシュ「十四世紀の低地ナヴァールの養豚」『南西フランスの歴史学連盟第十三回大会録』と書かれたところで、その文献の原題が分からない限り、アクセスできません。本書の原著も買って照らし合わせれば、註に引かれた文献がわかりますが…。まどろっこしくなりましたが、つまりこの場合、原注もふくめ全て邦訳に訳すという親切(?)が、逆にあだになっているといえます(*)。*なお、この点について付記しておきますと、私も以前、自主ゼミの中で同じ過ちを犯したことがあります。二人で英語論文を訳出するというゼミで、二人とも原著を持っているから大丈夫という思いで原注部分も邦訳したのですが、せっかく本文を邦訳するのだから、原注部分は原語のままの方が文献が探しやすいと、相手の方にご指摘を受けたのです。まったくそのとおりだと反省したものです。 それから同じく註について、本邦訳書が出版された時点で邦訳がある文献についても、その邦題ではなく、訳者の方があてた邦題が書かれているのも残念でした。私が気付いたのは、J・ル=ゴッフ『財布と人生』という部分(第一章註10)。こちらは、せっかくジャック・ル・ゴッフ(渡辺香根夫訳)『中世の高利貸―金も命も―』法政大学出版局、1989年という邦訳書があるのですから、その情報を掲載していれば良かったのに、と思いました。 それでは、内容の方に移ります。 まず第一部は、豚とユダヤ人、子供、レプラ患者などが共通の要素をもち、同一視されるということを示します。 第二部は、キリスト教徒によるユダヤ人観を描いているといえるでしょう。今日にも残る儀礼を紹介する部分で、どれだけユダが憎まれ嫌われているかがありありとうかがえました。ただここでは、章によってはあまり豚が登場しない部分もあります。 第三部は、キリスト教徒が豚とどう接しているかを描きます。具体的には、豚の屠殺・解体・腸詰め作りなどの工程を紹介しながら、その過程に見られる民俗学的な要素が示されます。 ミシェル・パストゥローの論文「人間と豚―一つの象徴史」("L'homme et le porc : une histoire symbolique") (dans Michel Pastoureau, Couleurs, Images, Symboles. Etudes d'histoire et d'anthropologie, Paris, Le Leopard d'Or, 1989, pp. 237-282)を読み進める中で、本書が紹介されていたので、先に邦訳で読める本書を読んでみたのでした。参考になる部分もありましたが、今の私にはどうもピンとこない文献でした。むしろ、パストゥロー文献の方が内容がよく整理されて、論も明快なので読みやすいように思います。もちろん、パストゥロー氏の文章に対する慣れもあると思いますが…。 とまれ、パストゥロー論文も読了すれば、また記事を書きたいと思います(いつになるやら見当もつきませんが…)。 また、豚を主題としたパストゥロー氏の新刊が出ていることについて、こちらの記事に書いていますので、良ければご参照下さい。(2009/06/21読了)