ジャック・ル・ゴフ『もうひとつの中世のために』
ジャック・ル・ゴフ(加納修訳)『もうひとつの中世のために』(Jacques Le Goff, Pour un autre Moyen Age ; Temps, travail et culture en Occident : 18 essais, Gallimard, Paris, 1977)~白水社、2006年~ アナール学派第三世代の大家、ジャック・ル・ゴフの第一論文集です。原著は1977年に出版されています。約30年遅れでの邦訳刊行ですね…。邦訳刊行の遅れについては、訳者あとがきでもふれられています。 本書の目次は以下の通り(標題の数字は、訳書では漢数字です)。ーーー序論第一部 時間と労働 第一章 ミシュレの中世たち 第二章 中世における教会の時間と商人の時間 第三章 14世紀の「危機」における労働の時間―中世の時間から近代の時間へ 第四章 9~12世紀キリスト教世界における三身分社会、王権イデオロギーならびに経済の再生についての覚え書き 第五章 西洋中世における合法的な職業と非合法の職業 第六章 中世初期の価値体系における労働、技術、職人(5~10世紀) 第七章 中世初期文学における農民と農村世界(5~6世紀)第二部 労働と価値体系 第八章 15世紀パドヴァにおける大学の諸費用 第九章 中世の聴罪司祭手引書から見た職業 第十章 中世の大学人は己をどのように理解していたか 第十一章 中世とルネサンス期における大学と公権力第三部 知識人文化と民衆文化 第十二章 メロヴィング文明における聖職者の文化とフォークロアの伝統 第十三章 中世の教会文化と民俗文化―パリの聖マルセルと龍 第十四章 中世西洋とインド洋―夢の地平 第十五章 中世西洋の文化と集合心理における夢 第十六章 母と開拓者としてのメリュジーヌ第四部 歴史人類学の構築に向けて 第十七章 歴史家と日常的人間 第十八章 家臣制の象徴儀礼初出一覧訳者あとがき索引ーーー 第一部のあたりはけっこうがんばって読んだのですが、仕事の疲れがたまってきているのか、次第に朝読むのがつらくなって、さらに読むときもざぁーっと流し読みですませてしまったりした論文もあるので、いつにもまして大した感想は書けそうにありません…。が、思うこと、関連することをつらつらと。 本書に収録されている論文のうち、4つは既に別の媒体で邦訳が発表されています。 第二章(新倉俊一訳「教会の時間と商人の時間」『思想』663、1979年)第十四章(池上俊一訳「西洋中世とインド洋―夢の領域」池上俊一編訳『中世の夢』名古屋大学出版会、1992年)第十六章(松村剛訳「母と開拓者としてのメリュジーヌ 一 中世篇」クードレット『メリュジーヌ物語』青土社、1996年)第十七章(福井憲彦訳「歴史家と"日常的人間"」『現代思想』1983年10月号) 第十六章以外は既訳文献で既に読んでいたのですが、メリュジーヌに関する論文はずっと気になっていたので、今回読めてとても良かったです。 話に出たついでに、メリュジーヌについてふれておきましょう。 メリュジーヌ物語にはいくつかのバージョンがあるのですが、大体次のような話です。 ある貴族が、森で、美女に出会い、惚れ込んで求婚します。美女は、ある条件を出しながら、結婚を受け入れます(裸を見ない、土曜日に会わない、など)。また、彼女は、貴族に繁栄を約束します。実際、夫婦は繁栄します。貴族は都市や城を気付き、さらに、子宝にも恵まれます。ところが、気になって、あるいは従者が目撃したことから、貴族は、彼女が人魚(蛇)の姿になっていることを知ります。彼女―メリュジーヌ―は、夫に自分の正体を知られたことを知ると、翼のある蛇に姿を変え、夫のもとを去るのでした。 これは、ジャン・ダラス版の、ル・ゴフによる整理を中心に書いたことですが、だいたいこんな話ですね。いろんな違いはありますが、日本ですと、「鶴の恩返し」を連想しますね。メリュジーヌは、恩返しのために貴族と結婚するわけではないのですが…。 このような、神話(あるいは民話)の比較研究なども、つねづね関心はあるのですが、あらためて興味を持ちます。 個人的には、この邦訳が出る前に、英訳版Jacques Le Goff(trans. by Arthur Goldhammer), Time, Work, & Culture in the Middle Ages, The University of Chicago Press, 1982 (Paperback edition)を入手しており、第四章、第五章、第九章、第十二章は英訳版で読んでいました。修士論文提出前に邦訳版を手に入れ、照らし合わせながら理解を深めることができたのは良かったです。最近更新が滞っていますが、また研究整理の記事を書く機会があれば、いずれこれらの論文にもふれることにもなるかと思います。 同じく、文献案内になりますが、1999年に、ガリマールGallimard社から、ル・ゴフの全集的な著作(Jacques Le Goff, Un Autre Moyen Age, Gallimard, 1999)が出ました。こちらも入手しているのですが、この著作には、邦訳が出ているところでいえば、『煉獄の誕生』、『中世の高利貸』、本書『もう一つの中世のために』、そして邦訳は出ていませんが、有名な論文集、L'Imaginaire Medievalの4冊の本に加え、いくつかの論文が収録されているという、まぁなんとも魅力的な本です。特に、その書物の最後の方には、笑いに関する二つの論文が収録されていて、興味深いです(…といいながら、まだ読めていませんが…)。 1700ページくらいありますが、たしか5000円もしなかったので、割とお買い得の本かと思います。 …それはともあれ、修士論文執筆のときは、先にふれた英訳を中心に読んで、このUn Autre Moyen Ageで原文のフランス語をチェックして、さらに邦訳も検討したのだったなぁというんで、ふれておきたかったのでした。 藤原書店から邦訳がでた『中世とは何か』(感想はこちら)、『中世の身体』(感想はこちら)といった書物は、テーマも興味深いですし、非常に読みやすいのですけれど(あんまりガチガチではないのですね)、本書はがちがちの研究ですね。どうも最近、論文を読むのがくたびれるようになってしまい…。ばりばり勉強していた修士の頃は、やはり幸せな時間だったなぁと、卒業してまだ4ヶ月ほどですが思わずにいられません。 …と、脱線脱線でここまで書いてきましたが、なにはともあれ、本書の邦訳は嬉しいですね。ここに収録されている論文の多くが(というか、本書自体が)割と多くの研究で、しばしば言及・引用されているように思いますし。 また、本書の嬉しいところは、註で挙げられている文献に邦訳があれば、そのページの該当箇所まで紹介してくれているところですね。 先にふれた、L'Imaginaire Medieval(英訳は、Jacques Le Goff(trans. by Arthur Goldhammer), The Medieval Imagination, The University of Chicago Press, 1992(Paperback edition))の邦訳も、ぜひ刊行していただきたいものです。*英訳版Jacques Le Goff (trans. by Arthur Goldhammer), Time, Work, & Culture in the Middle Ages, The University of Chicago Press, 1982 (Paperback edition)の画像はこちら。