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2週間前、超短期で日本に帰国した。目的は高校のラグビー仲間の結婚式だったわけだが、それ以外にもいろいろサプライズがあった。まず、実家で飼っている柴犬のリリーが、老衰からなのか病気からなのか、目が見えなくなっていて、散歩に連れて行っても溝に向かってまっすぐ歩いていったり、車道と歩道の分離帯にぶつかったり。元々は3匹で元気に散歩だったのに。今は一人になってもがんばって生きているんだなと。毎朝お礼を言っておいた。ありがとうございますと。あと、5人に増えた姪っ子と甥っ子の中でも、今一番輝いてる4歳になったばかりのミレイちゃん。運動会ではちょっと恥ずかしがりやだったけど、そういうのもありでしょう。あと、東京には3泊だけ滞在することができたけど、その間もまた貴重な再会や出会いがあった。その中でも今回ヒットしたのは、占い師。夜行バスで名古屋に帰る直前に、1時間ほど暇な時間があったから、その辺にいた怪しげな占い師に手相を見てもらった。ちなみに俺はこれまでそういう占いとかやったことなかったので、「初めてなんですけど。。。」って言ったら「えぇ!?」ってびっくりしてた。占い師だったらそれぐらい察してほしいものだ。それはいいとして、30分ぐらいいろいろ話してくれて、手相も見てくれて、結局わかったのは、俺の34歳から運勢が超アップして、そのときに始めた仕事を一生続けることになるらしい。あと5年ぐらい、何をして過ごそうか。。。
2009.10.30
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久々の更新。昨日、来たる第一子のベビーカーを買う為に安めのアウトレットに行ってみた。Del Amoモールの地下にある、知る人ぞ知る場所。値段は安くて良かったのだけど、嫁の反応がいまいち。やっぱりデザインとかが納得いかなかったのか。30分ぐらい色々見ていたのだけれど、結局手ぶらで退却。その足でBabysrusへ。そこで嫁のお気に入りのベビーカーとカーシートを発見。一見在庫がなさそうだったので、確認する為に店員を呼びにいった。ちょっと離れた所にいた店員を捕まえて「在庫がありますか?」と聞きながらその場に歩いて向かっている時に。。。。嫁がすごく幸せそうな顔してそのベビーカーを押しているのが遠くから見えた。それを見て、すごく幸せな気分になった。その後、無事ベビーカーとカーシートを購入。さてさて、キックオフが近づいて参りました。。。
2009.10.01
少し前に、嫁の親父から嫁宛にメールが届いた。 日本のニュースで、カリフォルニア州の政府の予算がやばいとか聞いたが大丈夫なのか?という内容だった。 俺も嫁も、「へ?」っていう反応だった。 が、やはり気になるもので、ここ2週間ぐらいニュースを見ていたら、相当やばいんだな。。。という感じが伝わってきた。 何が起こっているかというと。。。 1。裁判所お休み。月に1回、予算節約のため。まあいいんじゃねえ?っていう程度。 2。消防署閉鎖。いくつかの消防署が閉鎖され、消防車や消防器具は隣町の署へ寄付。ちょうどこのニュースが流れている頃に、北カリフォルニアでは山火事が猛威をふるっていた。皮肉だ。 3。州立大学閉鎖。UCキャンパスが幾つか閉鎖されるとかされないとか。教育の予算は昔から少しずつ削られていたrが、大学をクローズするというのは血迷っていないか? 4。とどめが昨日のニュース。刑務所に服役中の犯罪者27000人を解放。これも、彼らをとどめておくだけで年間1000億ドルの予算が必要だからとか。これはさすがに今日のディベートの目玉だった。 次はなんだろう。州の保険制度を使って子供を産む予定の俺たちには不安の日々が続く。
2009.08.20
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イラク戦争が始まった時、テキサスの大学に通っていた。週末にぶらぶらとキャンパスを歩いている時に、学内新聞を発行する新聞部にインタビューをされたのを覚えている。 「この戦争はあと何年続くと思いますか?」 俺の答えは「4年ぐらいは続くんじゃないの?」だった。 「4年ぐらいで終わってくれよ」という願いも込めていたのだと思う。 今日ひょんなことで、過去3年間に渡ってアメリカ軍で働いてきた人と話をした。彼の任務は、これからイラクに行く兵士のカウンセリングと、イラクから負傷して帰ってきた兵士のカウンセリングだ。 元々、ビデオ制作の依頼で話しをしていたのだが、話しが一段落して戦争の話しになった途端、優しいトーンの彼の声が一瞬で変わったことが印象深かった。 「戦争は最低だ。俺は戦争を否定する。」そう言いきる彼の言葉には、すさまじい重みがあった。 そしてゆっくりと彼は語った。アメリカ政府がどうやって死亡した兵士の数をごまかしているか。核戦争では無いという表向きとは反して、アメリカ軍が使う爆弾に含まれる放射能のせいでイラク人や帰還したアメリカ兵達が奇形児を多く産んでいる事実。遠隔操作で爆発する爆弾に毎日おびえるアメリカ兵達の現実。 オバマに政権が変わり、表向きでは来年にアメリカ軍が全員イラクを撤退するということだが、現実では全くその通りになっていないということ。 腕や足が吹き飛ばされて戻ってくるアメリカ兵達と3年間接してきた彼の話しは、ビデオ制作の話しより100倍興味深かった。
2009.08.18
Gigazineの記事でもとりあげられている世界最大のジグソーパズル。 2万4千ピース、完成品のサイズは全長3.6メートルにもなるという。値段は350ドル程。 このパズルを購入できる店がサンタモニカにある。取材の映像はこちら。世界最大のパズルは映っていませんが。。。(笑) ちなみにうちの会社に日本からインターンとしてやってきていたT君はこれを購入した。重すぎて飛行機に乗せるとなるとおそらく超過料金をとられるだろうということで宅急便で郵送したが、それにも150ドルかかった。パズルを買った時には、店長が頼んでもいないのに特別割り引きをしてくれて、300ドルで買えたとはいえ、送料と合わせて500ドル近い費用がかかっている。 つい最近、そこのお店の店長からメールが届いた。 Did you finish the puzzle yet? 俺が把握している限りでは、T君の住む学校の寮の部屋では完成品のスペースが確保できなくて、学校を卒業して引っ越すまで押し入れに入っているということだ。 ちなみに完成したら是非Gigazineの記事の老人と同じ写真を撮ってもらう予定。 「完成したら」 だけど。
2009.08.14
ここに来て、とうとう駒が無くなってきた。 転居・ 転職・ビザの更新・妻の病院の変更。 ここ数ヶ月は、会社の命運をかけた戦いが続いてきた。心身と給料を削ってあらゆる作戦を打ってきた。が、さすがにもう。。。 後は自然に身を任せ。。。
2009.08.04
一昨日映画を見に行った時に、プレビューで紹介されてました。「崖の上のポニョ」アメリカでは8月14日公開だそうで、自分はまだ見てないから見に行こうかと。ちなみに英語版の題名は。。。。ずばり"PONYO" 後ろに座ってたおばちゃん2人は、Miyazakiの名前は知っていたらしく、プレビューの間は"Wow"っていう感じのリアクションだったんだが、最後に題名がスクリーンに映された時、「。。。。。。」ってなってた。 そりゃ読めんだろ。 そんなちょっと強引なディズニーが好きだ。
2009.07.07
10年前ぐらい、テキサスにいたころは毎週末、自転車で30分程走って映画館まで行って、3ドル程払って小さな映画館で映画を見まくっていた。今は、車もあるし、それこそ家から数ブロックの場所に巨大な映画館があるのだが、何故か滅多に足を運ばない。嫁と映画を見に行くたびに「もっと頻繁にくるべきだよね」と言いながら映画館を後にして、結局気がつけば数ヶ月という月日が経つ。先週末は独立記念日も兼ねた休みだったので、「家でごろごろしていること自体が反国民」的な風潮があったので、映画館に行った。そこで見たのはこちら。「My Sister's Keeper」先週末は先にも述べたように独立記念日の週末だったので、ボックスオフィスの商戦では「トランスフォーマー」か「アイスエイジ」か?だったらしいが、この映画を選んで良かったと今でも思う。ジャンルでいうと、ドラマ。ヒューマンドラマ。これから見る人のために少しだけ紹介すると、ある家庭の3人兄妹の真ん中の女の子が腎臓癌になり、それを治すために一番下の女の子の腎臓移植をするかしないかという話。キャメロンディアスが出演していて、彼女はお母さん役。病気の子供を持つ父親と、母親と、兄と、妹の葛藤を描いた、いい作品だ。これ以上は書かないが、はっきりいって泣ける映画だった。隣の席のアフリカンのおばちゃんは声を出して泣きながら鼻水だらだらで、そのせいで俺が映画に集中できなかった。また、とある小さな女の子が耐えきれなかったのか、泣きながら映画館から出て行ったりもした。オススメです。
2009.07.06
伊良部を見た。ってゆうか見に行った。ロングビーチのマイナーリーグでやってるとは聞いていたが、まさか生で見ることになるとは。初のマイナーリーグの試合観戦。そしておそらく最後だろう。って別に嫌いだったとかじゃないが、よほどの理由がなければマイナーリーグよりメジャーリーグに行くからだ。今回魔人イラブぅを見る事になったのも、知り合いからチケットをもらって、しかも偶然予定が空いていたと言う奇跡が起こったからだ。宇宙の超自然現象だ。何か1つ狂ったとしたら実現しなかったであろう。よく考えてみると、イラブぅの投球を生でみるのは初めてだ。初めてなんで、過去の彼の球速とかと比べる事はできない。だが、1つだけ言えることがある。それは。。。。「イラブぅはマイナーリーグだったらまだまだいける」ってことだ。はっきりいって、相手チームのバッターは彼の球威についていけてなかった。自分たちは3塁側に座ってたから、左バッターの振り遅れの球が飛んで来るのが怖かったぐらいだ。さすがは魔人。問題はイラブぅ自身がこのレベルでやること自体に満足しているのかどうかという部分だろう。
2009.07.03
過去3回の更新の続きです。ラストです。長文なので、覚悟して読んでください。今思えば、ちょうど一週間前の火曜日。昼頃に空港に嫁を迎えにいった。空港は現在改装中で人があふれかえっていて、変な所で出口に背を向けて待つ羽目になった。そして待つこと15分。案の定、向こうがこっちを先に見つけて、後ろから肩を叩かれた。3週間ぶりの嫁は、髪をばっさり切って、そしてお腹が以前の倍ぐらい?に大きくなっていた。車に乗り込み、とりあえず自宅に向かう。午後12時過ぎだった。外は暑かった。自宅のアパートにつき、軽い食事をとって、そして少し休憩をしてもらった。長旅の疲れはそれぐらいじゃとれないだろうけど、「一刻も早く来院してください」という言葉が頭に残っていたので、準備をさせて出発した。病院に着いた。午後2時。受付に入って、数人の妊婦さんと一緒に名前を呼ばれるのを待った。けれど、予約を取っていないからなのか、30分、40分経っても一向に名前を呼ばれなかった。俺たちはというと、その間もずっと、「羊水検査をするべきか」を話し合っていた。俺は、はっきりいってどちらでもよかった。「どうでもよかった」では無いので誤解しないでほしい。羊水検査をしなくても問題ないと思ったし、したとしても何ら問題ないと思っていた。誰に何を言われようが、俺たちの子供は俺たちが責任を持って産むと思っていた。しかし問題は、嫁も同じ様な意見だったということだった。「それだったらお金払ってリスク背負って検査する意味ないんじゃね?」って思うのと、「でももし問題があるのならそれは事前にちゃんと知っておきたい」という思いが交錯しまくってたと思う。ただ1つ同意していたのは、「ドクターには羊水検査をするように薦められるだろうね。。。」ということだった。そして、納得できる理由を元に羊水検査を薦められるのだったら、してもいいんじゃないのか。。。」ということは「なんとなく同意」をしていた。受付に入って1時間が経つころ、受付の人がカウンターから顔を出して言った。「先生はさっきまで分娩を手伝っていたので、今こちらに向かっています」(意味が分からない人のために一応説明しておくと、アメリカでは妊娠の検診をする場所と出産をする場所は違うのが一般的です。なので、この日たまたま分娩があったので先生はオフィスにはいなかったということです。)そしてそれから数分後に名前を呼ばれ、個室に通された。しばらく待つが、先生は来ない。2人とも全然頭の中が整理できてなくて、また「羊水検査をするか」という話を持ち出して、わいわい言い合っていた。そこにドクター登場。実は、過去に2回検診に来たが、ドクターには会ったことはなかった。簡単な検診や超音波はナースの方々で問題ないだからだろう。ドクターはとても気さくな感じで、俺たち2人ともとても安心した。が、向こうもこっちの気持ちを察してか、早速本題に。先生:「血液検査のことなんだけど。。。」俺たち:「・・・・・・はい。」先生:「実はね、血液検査をした病院の人が妊娠周期の数字を打ち間違えてたことに今朝気づいたの。そしてすぐに電話をして、正しい妊娠周期を打ち込んでもらったら、何も異常がなかったの。良かったわね!」俺たち:「・・・・・・・へ?」先生:「これはGood Newsよ。とりあえず今日は超音波で見て本当に問題が無いかを確認するわね。」俺たち:「・・・・・・・へ?」そして半分放心状態の俺たちをよそに、超音波で頭の大きさ、体の大きさ、太ももの骨の長さとかを計って、何も異常が無いということを確認。おい、そりゃねーだろ。と突っ込みたくなるような結末だった。ただ、1つ良かったことは、俺も、嫁も、親として、人として、いろいろ考えさせられたってこと。世の中には実際に俺たちみたいに検査を受けて、異常があって、羊水検査をして、そして障害のある子供を産むという選択をしている親御さんがたくさんいると思う。もちろん、そこで産まないという選択をする人もいるだろう。前回の更新で書いた事だが、そこには正解はない。でも、人それぞれ、夜も寝れずに悩んで、頼れる人に相談して、さらに悩んで、悩んで、悩み抜いた挙げ句の結論にすがりつく。そしてそれが絶対に正しいんだと信じて生きていくんだろう。ただ、俺の中で最後まで動かなかったのは、ダウン症だからやめるとか、何か障害があるから諦めるとか、そういうのって子供を育てていく上で、子供が苦手な科目があるとか、子供が運動が苦手だとか、そういう「障害」となんら変わらないだろうって思っていた事。そういう意味では、神様が俺たちに与えてくれた試練というか、「突然妊娠して、10ヶ月ただ待って赤ちゃんが出てきたら俺たちは自然にお父さんとお母さんになる」っていう様な楽観的な考えを正してくれて、1人の人間を育てるという立場に立つ事に対する心の準備をさせてもらえた気がする。そしてもちろん、まだまだちゃんと5体満足で産まれてくるか分からない我が子だけど、もう愛しちゃってしょうがないです。そしてその日、80%の確率で女の子だということも分かりました。最後に。日本にいる間に両親に相談していた嫁は、病院から出てすぐに電話をして、問題が無かったことを報告していました。向こうの親も安心してくれてました。ちなみに俺が唯一このことを相談した相手である会社の社長には、ネットワークビジネスの商品を薦められました。
2009.06.30
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1と2の続きです。その間にメールとコメントでいろいろ書いてくださった方々、ありがとうございます。ほんとに。では続きを。次の日。土曜日。とりあえず、悩んだ結果何をしたかって。ググッた。ま、それしかないでしょ。そしたら出てくる出てくる、ありとあらゆる情報。休日を利用して半日ぐらいかけて信憑性の高い情報だけを洗い出してみた。そこで出た結論:すでに前回の更新にけ~とさんがコメントで出してくれましたが、「血液検査は絶対じゃない」ということです。しかし、「絶対じゃない」というだけなので、血液検査に引っかかって羊水検査をしたところ何も問題なかった人もいれば、羊水検査でダウン症決定したという人もいました。なので、そういう情報とセットでできるだけソフト?に嫁に報告。してみた。ただ、人の親なら誰でも「可能性がある」というだけでも充分な打撃。そりゃそうだ。人ごとじゃないからな。(こうやって書いてるとどこか人ごとに聞こえるけど、れっきとした俺の子です)ただ、その時点ではじたばたしても火曜日の到着を早めれるわけではないので、話しの焦点は「羊水検査をするかどうか」になった。簡単に言うと、「ダウン症だと分かった時に産むか産まないか?」ということだ。これは後々ドクターに診てもらった時に言われた言葉なんだが「Philosophy(哲学)」という言葉がぴったりな問いかけだ。まず、羊水検査をすることで、どちらかが分かる。分かってどうする?という話しなのだ。そしてもちろん羊水検査をすること自体にもリスクはついてくる。(羊水を採取することにリスクが伴うのは当たり前だが)例えば、リスクを負ってまで羊水検査を受けて、もしダウン症だと分かったとしても産むのだったら、何故リスクを負ってまで羊水検査をするのか?という風にぐるっと1周してくるわけだ。もちろん親として、そこはちゃんと羊水検査をして、自分の子供の状態を把握するべきだろうっていう考えもある。万が一ダウン症だったら、それなりに親として準備をするべきだろうと。ただそこに「正解」は無い。そんな正解の無い疑問に対して、すぐに答えなんかが出る訳も無く、話し合いは結論を得ず火曜日の嫁の帰宅を待つ事になった。次回(最終回)に続く。
2009.06.28
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前回の更新のつづき産婦人科の先生との電話を切ったあと、しばらく何が起きたのか分からなかった。仕事中だったので、しばらく仕事を続けるふりをしたが、何も手につかなかった。そりゃそうだ。とりあえずその日は時間だけが過ぎていった。家に帰り、酒を飲んだ(笑)いや、飲むしか無いっしょ。どうしようかな。。。。。と嫁は日本にいるし、下手に教えて余計なストレスを感じてもらっても困る。弱ったぞ。知り合いの出産経験者からそんな話しを聞いたこともない。困った事に、とにかく基礎知識が無い。ダウン症ということ自体もよく知らない。ましてやその血液検査の結果なんて、どこから何をすればいいのか。検討がつかない。しょうがない。その日は寝てみた。寝れるかヴォケィ続く
2009.06.25
先週の金曜日のことだった。妊娠18週目を迎えるうちの嫁の、担当の産婦人科の先生から突然お電話を頂いた。「3週間前に受けた血液検査の結果、ダウン症候群の可能性があります。奥さんと一緒に一刻も早く来院してください」しかし、嫁は次の週の火曜日にならないと日本から帰ってこない。その旨を伝えると「それでは帰ってきた日に病院に来てください」と告げられた。続く
2009.06.24
atascaderoという町は、ロサンゼルスから北に350キロほど行った所にある小さな町で、用がなければ一生知る事の無い町だ。人口は25000人強で、一本のメインストリートに沿ってローカルの個人経営ショップが立ち並ぶ、なんとものんびりとした町だ。写真はcity hall(改装中)←でも4日間誰も工事してなかった1日目は夜9時半ごろに遅い夕食に出かけたのだが、何せこの町のほとんどの店が9時前に閉めてしまうので、開いているお店が無く、仕方が無くファストフードのハンバーグを持ち帰り、モーテルで食べるという、精神的ダメージの重い初日。しかも典型的な白人の町で、日本人である俺と韓国人であるディレクターは目立ちすぎて、ある意味変な目で見られる。作業としては、4日間編集室に缶詰で、朝の9時から夜の12時までランチとディナーの1時間ずつ以外は籠りっきりだった。俺もディレクターも日に日にストレスが溜まり、編集室にはレッドブルの空き缶が積まれていく。唯一の救いが、編集作業をしたオフィスの隣がペットショップだったことだ。小休憩の度に、そこで売られていたフォックステリアを眺めて、めちゃめちゃ癒された。この子、値段がたったの300ドル(注射代とか込み)だったので、自分を抑制するのに大変だった。誰か優しい飼い主が見つかるといいなぁ。。。
2009.06.20
夜まで働いて家に帰った時に「おかえり」の一言がどれだけ疲れを癒してくれるかが分かった。スーパーで安く売ってた砂肝を炒めながらふと思った。あと2週間ぐらいエンジョイします。
2009.06.10
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ここ最近、体の調子がよくなかった。これ、ほんとの話。前日の朝は吐き気で目が覚めた。これもほんと。一瞬、新型インフルエンザか?とも思った。実際。病院に行くべきか?と迷った。こともあった。そして病院に行った。昨日の夢の中で。レントゲンを撮ったが原因が分からないからというので、CTスキャンをとることになった。そして、検査が終わってから医者に呼ばれて言われた。「右肩のあたりに1万円と、左のお腹の辺りに5千円が入ってますね」そしてその後、そのお札2枚を取り出すための手術に1万5千円以上かかるのでどうしようかということに悩み続けていたら夢から覚めた。おあとがよろしいようで。
2009.06.07
3月31日のブログでとりあげた、ロサンゼルスで起きた殺人事件。被害者の兄から直接コメントを頂いたが、親切にも彼の本名と携帯番号まで載せておられたので、悪用される前に丁重に削除させていただいた。その代わりに、名前と番号を伏せてペーストしておく。永遠に残るように。以下コメントありがとうございます。私が(被害者)の兄です。本当に許すことが出来ない事件でした。陪審員制についても疑問を抱きましたし、加害者側についても腹立たしかった一面がありました。日本の文化に礼節という言葉があります。やったことは仕方なかったとしても、謝る事も無く裁判の結果が出たときには、加害者側の親が私の検事と母親に向かってビッチといわれました。そのときに罪を憎んで人を恨まずということももっていたのですが、吹っ飛んでしまいました。何か情報あれば教えてください。宜しくお願いします。今日の朝、被害者のいとこに当たる人から直接お電話を頂き、つい先日判決が下ったという連絡をわざわざしていただいた。実刑禁固16年。その後に医者の診断をして、釈放か終身刑のどちらかだという。事件が起こって早4年半が経ったが、やはり被害者家族に残した爪痕の大きさは計り知れない。愛娘を殺した相手の裁判を聞くための10時間の飛行時間の間、ご家族の方々は何を思っていたのだろう?そしてはるばるやってきた彼らに対しての加害者側の傷口に塩を塗り込むような態度。ただただ言葉を失う。4年半もの歳月を経てそんな態度しかとれない者に、16年という歳月はいったい何を意味するのだろうか。
2009.05.31
さてさて、昨日は第一回結婚記念日ということで、仕事帰りに花屋に立ち寄って花を買った。そこでふと思ったのだが、花屋に寄ること自体、何年ぶりなんだろうと。。。よく考えたらメキシコ人の元カノと付き合ってたころは事あるごとに花を贈ってたなぁって。。。(嫁には秘密です)やはり国民性の違いですね。ということにしておこう。とりあえず花の知識は0なので、元気の出そうなオレンジ色のお花の盛り合わせ?を購入。写真撮り忘れたんで、ご想像にお任せします。あと、以前取材したバス用品屋さんで石けんも購入。そしていつもより少し早く帰宅。そりゃ~もう喜んでましたよ。お腹の赤ちゃんも一緒に喜んでたんじゃないのかな。ちなみに今週末はmemorial weekendっつって、3連休です。普通の会社は。うちは普通に2連休です。
2009.05.22
今日、インターンの子が帰国した。彼は2ヶ月前にアメリカに来て、うちの会社で汗水流して働いてくれた。彼が来る前には新型インフルエンザなんて話は無かった。その2ヶ月の間に、山火事、震度5の地震と、いろいろ経験することになったが。今日出発して、明日の夕方に到着するだろう彼は、機内の検疫をパスすることができるのだろうか?出発前に彼が言っていたこと。「もし隔離されるような事があったら2chにスレ立てます」乞うご期待。
2009.05.21
実は3月の終わりに嫁に妊娠検査薬で調べさせたら"pregnant"と出て、それ以来ハワイに行ったりしていたので時間がなくて、今日初めて病院に行ってきました。妊娠10週間ということで、超音波で赤ちゃんの心臓が動いているのとか、手とか頭とか。月並みだけど感動しました。と、いうことで、今年の10月に予定していた結婚式は延期です(笑)なので気分だけでも。。。
2009.04.28
簡単に言うと、ハワイは何回行ってもあきない。飯は旨い。海は綺麗。日本人多い。今回はいろいろな所に行った。Birth Stone, Dole Plantation, North Shore, Sunset Beach, Lanikai Beachそしてまたいろいろな物を食べた。Loco Moco, Garlic Shrimp, Oyster, 変なkorean, Cold Stone, Coco-Ichi Curryまた行きたいなと。sunset beach
2009.04.24
去年も行きましたが、ハワイ行ってきます。今回はノースショア方面に行く予定です。情報が無いのでとりあえず突撃です。去年行ったラニカイビーチ
2009.04.16
http://webnews.asahi.co.jp/ann_i_190331022.htmlより ロサンゼルスに留学中の日本人女性が殺害された事件で、アメリカ人の夫に有罪の評決が言い渡されました。評決を聞いた夫は、法廷のテーブルに頭を打ちつけ、怒りをあらわにしました。 脚本家を目指して留学中だった草刈福子さん(当時25)は2005年12月、自宅の寝室で腹など26カ所を刺されて殺害されました。夫で俳優志望のチェイス・ブラムレイジ被告(29)が第二級殺人罪に問われていますが、「犯行時の心神喪失」を主張して無罪を求めていました。 福子さんの父・草刈保廣さん:「やっぱり娘は死んでしまったから…。向こうの親だって、(陪審員も)分かってくれていると思うんです。(陪審員も)泣いてくれましたしね」 弁護側は、控訴するかどうかを含め、「ノーコメント」としています。情報提供してくださった特定の方、とても感謝しています。ハリウッドの特定の場所を通るたびに思い出す胸くそ悪い記憶。こんなやつを自主制作の映画に出してしまったがために、映像を見るだけで反吐が出るので編集をせずにクローゼットにしまってある素材映像。そのカセットテープを見るだけで、胃に火のついたタバコを直接押し付けられたような気持ちになる。人の命と、夢と、過去も未来も全てをごっそり消し去っておいて、「怒りをあらわにする。」余裕があるとは。彼は知らないのだろう。自分の娘の葬式に出席する両親の顔を。事件が起こる前に俺と俺の知り合いの携帯に残っていた数件の留守録に刻まれた彼女の苦しみを。苦悩を。無念を。
2009.03.31
テキサス。すさんだ荒野を夕日を背負ったカウボーイが馬にまたがり走っていく。そんなイメージだけを持ってテキサスの大学に入学したのが1999年。ちょうど10年前だ。最初のルームメイトはテキサス生まれのインド人。名前はParth。何も知らない俺にクレジットカードの申請の仕方からアメリカでの車の買い方まで教えてくれたナイスガイだ。時は進んで2009年3月。テキサス州ダラスへ4日間の撮影に行った。朝の6時に起きて夜の3時に寝るという超過密スケジュール(っていうか訴えてやる!)の中、最終日前日の夜になんとか時間を作って現場を抜け出して、あのParthと再会。彼は運良くダウンタウンから数分のところに住んでいた。俺がテキサスからカリフォルニアへ移ったのが2002年で、それ以来会っていなかったのでまさに7年ぶり。テキサスに3年間いた間は、Parthはパートタイムの学生で自分で学費を払いながら学校に行っていたのでいつも極貧生活をしていた。寮でルームメイトの間は、ベジタリアンの彼は生のタマネギを部屋でむしゃむしゃ食べていた。そのおかげで部屋はいつもタマネギ臭かった。Parthは寮を出た後、家賃150ドルのぼろぼろのアパートにいたのだが、虫は出る、すきま風はひどい、さらにタマネギ臭いという見事な条件のもと、まさにサバイバルしていた。そして今回、ホテルまで迎えにきてくれて、うまいタイ料理を食べながら話に花を咲かせた。時間は飛ぶように過ぎ、俺たちは支払いを済ませて店を出た。車に乗り込むと彼は意外なことを言った。I'll take you to my houseアパートではない。確かに「house」と彼は言った。驚く俺を尻目に彼は車を走らせ、ダラスのダウンタウンから西に10分程いった所にある閑静な住宅街に入っていった。車を走らせている間に彼はその家を探すのにどれだけの時間を費やしたかなどの苦労話を聞かせてくれた。幾つかの候補から最終的に2つの家に絞り、迷いに迷った挙げ句、今の家に決めて契約書にサインをしたらしいのだが、そのサインをした次の日にダラスを嵐が襲った。暴風雨にさらされて街の木が倒されているニュースを見て、車に飛び込んだ彼は前日に自分のものになったばかりの自宅に向かった。そこにたどり着く途中に、もう1つの候補だった家の前を通過したのだが、その家の横に植えてあった巨木が見事にその家の屋根の上に倒れて、家を半壊していたのだ。血の気がひいた彼は、さらにスピードアップして、今の家に向かった。角を曲がった瞬間に巨大な木が目の前の道路を塞ぐようにして倒れていた。しかもその木は彼の家の前に生えていた木だ。が、運良く、その木は彼の家とは反対方向に倒れ、道をはさんだ反対側にある家の玄関まで達していたそうだ。そんなびっくりな話を聞いている間に、彼は一軒の家の前に車を停めた。彼の家は普通の家だった。中に入ると、床はフローリングで、壁には彼の好きなアートがいくつかかかっていた。3ベッドルームの1つは彼自身のマスターベッドとして使っていて、その他の2つのうちの1つの部屋は、巨大な映画鑑賞用の部屋になっていた。エンジニアの彼はサウンドに対するこだわりが半端無く、俺がテキサスにいる間も音響システムを構築してくれた。その他にも、広い裏庭があったり、キッチンには巨大な冷蔵庫があったりと、学生時代の彼からは全く想像がつかないものばかりだった。そしてもちろん、タマネギ臭くなかった。タマネギ臭くなかったのだ。
2009.03.17
なかなか日常生活の中で自分に対して憤りを感じる事は少ないが、最近そういう思いをしたので書き連ねておく。先日日本から帰国した際のこと。とある日系航空会社を利用した訳だが、チェックインタイムを過ぎてからのチェックインだったため、飛行機の後ろの方に座る事になった。機内はそんなに混雑していなかったので、9時間程のフライトもそれほど苦ではなかった。飛行機はロサンゼルス空港に到着して、シートベルトのサインが消え、乗客が荷物を降ろして、飛行機から降りるのを待っているその時、ある事件が起きた。周りの乗客は今か今かと前方の客が動き始めるのを待っていたとき、俺は何故か斜め後ろに待機していたスッチーを見ていた。まあ、目の保養にもなるし。そしてある瞬間にちらっと振り返ったときに、スッチーはたまたま壁についている電話で誰かと話していた。その隙をみて、そのスッチーの後ろからデジカメを持ったおっさんが近づき。。。「パシャ」とスカートの中を逆さ撮りするのを目撃してしまった。それには俺も面食らった訳だが、どうしていいか分からずしばらくぼーっとしていた。そのおっさんを改めて見ると、太った白髪の中年オヤジで、まさに「いかにも」という感じがした。何故か非常に腹が立った。そのスッチーは電話を終えて、俺のすぐ後ろで待機していた。「何か言うべきだろ」と自分の中で衝動があったのだが、「何を言えばいいんだ?」とか「このおっさんに聞こえるように言うべきなのか?」とかいろいろ考えているうちに列が動き出してそのまま飛行機を降りてしまった。ちなみに俺の脳内の中でのシミュレーションはこんな感じだった俺:すいません、さっきスカートの中逆さ撮りされてましたよスッチー:え?ほんとですか?誰がそんな事を?俺:あそこにいる太ったおっさんです。スッチー:最悪よ。なんてことなの。訴えてやる!俺:それでは僕が証言者になりますので。(名刺を渡して)こちらに連絡くださいスッチー:わかりました、それでは今夜私のホテルの部屋で詳しいお話を聞かせてください俺:うはwまあそんな妄想はいいとして、入国審査~税関とずっとそのデブオヤジが許せなかった。それ以上に何も出来ない自分も許せなかった。そしてそんな見知らぬオヤジのせいで、その日1日胸くそ悪い日になってしまった。無念だ。
2009.02.05
最近起こった事とこれから起こることを羅列します。先週の試合で左膝を痛めて、昨日の練習でも全く走れず無念。風邪で鼻が詰まって息ができなくて残念。執念で3泊4日の強行日程で帰国します。去年の4月から温めてきたwebプロジェクトの発表を来週にします。今日のところはそんなところだ。
2009.01.28
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今日、オフィスの目の前に停めてある自分の車の中に鍵を置いたままドアを閉めてしまい、にっちもさっちもいかなくなった。いわゆるLocked Outってやつだ。 そこで、AAAを呼んだ。 30分後に到着した若い兄ちゃんに、「メンバーシップカードは?」と聞かれたので、オフィスに取りに行った。カードはオフィスを入ってすぐの机に置いてあったので、俺がオフィスに入ってカードを持って出てくるまで20秒もかからなかったと思う。 が、戻ってくると、すでに俺の車の鍵をその若い兄ちゃんが持っていた。しかも車のドアはきちんと閉まっていて、まるで手品を使って鍵だけ取り出したかのようだった。 思わず拍手。 兄ちゃんも照れ笑い。 そんな陽気な午後の昼下がり。
2009.01.13
改めて明けましておめでとうございます。 去年は何年ぶりかに日本で年越しをすることができました。 アメリカにはお盆が無いので、年末のように地元に人が帰ってくる時期に帰れると幸せを感じます。 年末からいろいろありました。 連日の飲みと睡眠不足で胃腸炎になって知らない人の家のトイレでリバースしたり、朝4時まで飲んでてその日の9時からラグビーの練習に参加したり。初岩盤浴したり、嫁の親戚家族の新年の挨拶に30分遅刻したり、家族の集まりにアメリカ人3人呼んだり、人生で初めて明治神宮に行けたりもした。 出発の日には雪が降りそうな天気の下、成田を出発した。そしてロスについた時は常夏みたいな天気だった。最高気温27度って。。。 「ここは南半球か!」 到着した日はオフィスに直行し、2週間分のつけを払う。なんだかんだで夜も更けて、帰宅して、寝て、そして次の日はラグビーの試合。シーズン最初の試合ということなんで休むわけにはいかない。ただ、コーチの配慮で後半のみの出場だったので、なんとか乗り切る事はできた。試合は負けたが。このチームが試合に負けるのは多分1年ぶりぐらいだと思う。 試合後にはコーチからの駄目だしを頂き、その日から始まる慣れない一人暮らしのことを考えながら帰路についた。 今年もいい年になりそうだ。
2009.01.12
こんなことがあるんだな。。。と思ったので手短に。 来週の金曜日にあたる12月26日に久々の帰国をすることになっている。 つい先日日本で英語教師をしているD氏と電話で話している時に、彼の友達2人が彼を訪れるために初めて日本に行くらしい。それも12月26日。 つい最近、知り合いでビザが取れなくてやむなく永久帰国をすることになった人に会った。その人もこちらを経つのが12月26日。 俺の嫁も合わせる4人の知り合いが同日に日本へ飛ぶ。 嫁以外は全員違う航空会社なんだが。 特におちはない。
2008.12.19
今週は木曜日が休みだ。感謝祭ということだ。 その勢い?で金曜日も休みになって4連休になる。 今週稼働できる曜日は月、火、水の3日しかないので、木、金の分をカバーするために火曜日の今日は徹夜コース。現在水曜日朝4時。 息抜きでブログ更新。 くそ、感謝祭なのに感謝できねえ。。。 ちなみに明日は朝7時半からミーティングなので、このまま突撃しそうだ。 3週間前から入ってきたラグビーの練習が火曜日、木曜日の午後7時から9時までなので、オフィス→練習→オフィスという変なことになる。しかも今日みたいに雨の中で練習なんて時はびしょ濡れでオフィスに戻ってくるから、同僚に変な目で見られる。 今日の練習で1つ学んだ事。 うまい選手は「加減」ができる選手だ。キックやパスでも距離をとばせる選手とか速い球を投げれるという選手はごろごろいる。問題は30%の力とか飛距離とかを絶妙なタイミングで出せるかだと思う。100%の力を出すのは0%の力を出すのと同じぐらい簡単だということだ。その間のメーターの調節が難しい。 人生も同じだ。 だから2流の俺は今日もオフィスで100%で働いている。
2008.11.25
昨夜、ジャパンラグビーがイーグルスに2連勝したというニュースを聞いて、いてもたってもいれなくなって、30分程ぐぐりまくった。試合の動画を見るために。 最終的にたどり着いたのがニコニコ動画だった。今まで存在は知ってたけど特に用は無かったのでアカウントも持ってなかったが、そこに動画があると知って30秒後にはアカウントを作っていた。 そして第1戦の地元瑞穂ラグビー場での試合から秩父宮まで、自宅の遅いインターネット回線と戦いながら観戦した。 アメリカ代表の9番と10番が元チームメイトということもあって、最初はどっちを応援すべきか。。。と眺めていたが、やはり自分の中に流れているCherry Blossomの血には逆らえなかった。 アメリカチームのメンバー構成が前回のワールドカップからがらっと変わっているのが気になったが、とにかく日本が勝てて良かった。 最近はラグビーの練習で馬車馬のように走らされてるんで、少しでもモチベーションにはなったかなと。。。 後は年末帰国する際にフィットネスを維持できるかが来年への挑戦です。 12/26~1/9です。 高校のグランドにでも顔をだそうかと。。。(いるのかな?)
2008.11.24
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前回日本に帰った時は、仕事で帰ったのでゆっくり過ごす事はできなかったのを覚えている。ただ良かった部分は東京のホテルの宿泊代や飯代が経費から出たことだ。 とりあえず、今回は前回と比べてゆっくりできると思う。とゆうか、年越しを日本で迎えれることがすごく嬉しい。 嫁とは毎晩のように「日本に帰ったら。。。。」という話しで盛り上がる。 おいしい味噌煮込み。 おいしい味噌カツもしかり。 おいしい海老フリャーもしかり。 そしてお袋の手料理もしかり。 また、小さな甥と2人の姪に会うことが何よりも楽しみだ。 すでに購入済みのお土産が部屋の隅に待機している。 前回も記憶に残っているのは、アメリカならではの合成着色料全開のお菓子を持って帰って「オカシ欲しいひと~?」って呼んだら、我こそはと走ってきておいしそうにほおばっていたのを。姉には「何あげてんの?」ってつっこまれたが。 1つだけ困っている事は「寒い」と噂の日本に着ていけるような厚手の冬服が、こちらでは手に入らないということだ。小学生のころには必ず1人はいたような、真冬でも半袖半ズボンの男の子のようになるのかも。それはそれで別の意味で寒い。
2008.11.20
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sycamore温泉は、リトルデンマークからさらに北へ1時間ほど行ったところにあった。highway101を降りてすぐの山の中に、sycamore hot spring and resortがある。ここのホテルは全ての部屋に露天風呂付きという日本人にはたまらない場所なのだが、宿泊費は決して安くない設定なんで、今回はお風呂のみ(週末大人1人15ドル)を利用しました。正直、値段だけを見ると水着を着て他の一般客の人達と大きなジャグジーに入るんだろうな。。。と想像していました。ところがどっこい森の中に所々プライベートのお風呂があって、そこで森林浴をしながらたっぷり温泉につかれるという最高のセッティングでした 小さな囲いの中にお風呂があります 充分リラックスして、日が傾いてきたところでサンタバーバラに向かって出発。 と、思いきや温泉を出てすぐの所で何やら人だかりが。。。 嫁の「あそこ行ってみたい」の一言で Uターンして行ってみました。 すると、そこは地元の農家が催しているハロウィンイベントのようなもので、山積みのカボチャを販売していたり、動物に触れたり、新鮮な野菜や果物などが売り出されていました。 巨大カボチャと嫁 こんな巨大なカボチャを買う程テンションは高くなかったので こんなサイズを購入しました。 その後、サンタバーバラまで1時間半程運転して、ビーチ沿いのホテルに1泊。 翌日は、午前中にメインのstate streetで朝食をとって、four season hotelでデザートを食べて帰りました。 その間に撮ったスナップショットをいくつか。 メインストリート入り口 four season hotel どこぞの金持ちのウェディング会場 以上
2008.10.24
10月18日は、今の嫁と付き合い始めた日なので、数週間前からカレンダーにでかでかと印が打ってあった。そんな無言のプレッシャーに負けて、1泊2日のワインあり温泉ありの小旅行に出かけてきました。土曜日の朝、秋を感じさせる空気を吸って、ロサンゼルスから一路北へ。サンタモニカを抜けて1号線を北へ向かうと、右側が山、左側が海という状態がしばらく続く。さらにマリブを超えて数十分走り続けたところで、道ばたに車を止めて休憩。波打ち際にいるサーファーを眺めていると、なんと沖に野生のイルカが。イルカを見る事自体は南カリフォルニアではそんなに珍しい事ではないんだけれど、今回は水面からのジャンプを見事映像に納める事ができました。その動画を見たい人はこちら(嫁の実況付き)そこからさらに北上して、サンタバーバラを抜けて、Little Danish(デンマーク村)という所でワンストップ。小さな雑貨屋さんや、ヨーロッパの映画に出てきそうなパン屋さん、そしてワインテイスティングなどをして、2時間程の時間があっという間に過ぎてしまいました。街並は広葉樹が生い茂っていて、カリフォルニアとは思えないような雰囲気。ちなみにこちらは公衆トイレ時間は2時を過ぎたところで、今回の旅行の目的地であるSycamore Springという天然温泉へ向かった。書き疲れたので続く
2008.10.20
どの職種でも、チャレンジはある。そしてそれを好む俺は実はMなのかもしれない。 先週の火曜日、とある企業様の所へ映像制作の打ち合わせに行ってきた。「こういう映像を作りたいのです」「問題ないですよ」といった感じで順調に進んでいた打ち合わせは、クライアントさんの一言で一気に緊張感が上がった。 「これ、来週の週末までに完成させて欲しいのですが」 その時点で、賞味2週間を切っていた訳だが、打ち合わせから推測しても優に3週間はかかる制作内容だった。 企画、脚本制作、撮影、編集、そして圧縮。どれも時間がかかる作業ばかりだけに、こちら側としては「やれる範囲でやりましょう」というのが精一杯だった。 帰りの車の中でどうしたものかと考えていた。素人目だったらとにかく早く撮影して編集しようと考えるかもしれないが、こういう時こそ準備が大事になる。自分的な結論としては撮影に入るまでの期間を最重要視して、実質10日ほどのうちの5日を企画と撮影準備にあてて、残りの半分で撮影と編集を行おうと思った。なぜなら撮影や編集の作業というのは、アイデアが固まっていればいる程単純作業として素早く行う事が可能だからだ。 それにしてもぎりぎりだ。何か1つでもうまくいかないとスケジュール的に全てが狂ってしまうだろう。。。 そして次の日である水曜日、オフィスで脚本家とメールでやりとりをしている間にクライアントさんから電話が入った。 「期限を来週の土曜日から水曜日まで繰り上げれないか?」 「そして明日撮影をできないか?」 その後、30分程の間死ぬ気で交渉を行ったわけだ。ありえないですよと。クルーもいませんし。脚本はどこやねん?等々。 でも、お客様は神様です。 神様稲尾様。 あえなく翌日の撮影が決定。この時点で昼の3時を回ったところ。 急遽カメラマン、クルーの手配を開始。それと同時に脚本家とメールでやりとりをして、ショットリスト作成に入る。同時に機材の点検と確認をしている内に夜は更けていった。 翌朝、DP(照明監督)が到着。照明のセットアップにかかり、数時間後に撮影を開始。 そして1日がかりで撮影をなんとか終了。終わったのは多分夜10時過ぎだったと思う。それから片付け等していたらすぐ12時を回っていた。 一旦帰宅して、シャワーを浴びて、再出勤。午前1時半にオフィスでカメラ機材をそろえて、三浦さんを出迎えに空港へ出発。 そしてその後は次の日の夕方まで中継の手伝いをして帰宅。1日無くなってしまった。 週末を返上して編集を終わらせるぞと意気込んでいたのも束の間、到着その日に自殺をしてしまったということで、また現場に舞い戻ることになってしまった。 それで土曜日の半日アボン。 日曜日はもともと終日撮影が入っていたので、月曜日、火曜日で編集。水曜日にお届けに上がります。 そんなチャレンジ、大好きです。
2008.10.13
一向に回復しないひざ。 まさかの再手術説も巷でうわさになっているとかいないとか。 ドクターによると、再手術の場合は術後最低6週間は松葉杖だそうなので、仕事にも支障が出てしまう恐れ。それに車社会のロサンゼルスで車も運転できなくなる可能性も大。引きこもりですな。確実に。まあお財布と相談しながら決めようと思う。 そういえば日本人3人がノーベル物理学賞を取ったというニュースを聞いた。早速ネットで調べてみたら、3人中2人が名古屋出身だとか。しかもそのうちの1人が同じ高校出身だとか。 こりゃすげえ。 同僚3人と沖縄料理をつまみながら語った。 「どうやったら ノーベル賞なんてとれるんだろうな。。?」 「取りたいと思ったら取れないんだろうな。」 。。。 今月末には沖縄から人間国宝の方がいらっしゃって、そのコンサートを撮影する事になっている。 「どうやったら人間国宝になんかなれるんだろうな。。。?」 「なろうと思ったらなれないんだろうな。」 。。。 金曜日には三浦さんを空港にお出迎えに行ってきます。
2008.10.08
3日ほど前に、日本に行って1年弱が経とうとしているD氏から国際電話がかかってきた。簡単な近況報告をしたところで、今年の冬は日本で過ごすということを言っていたので、自分が一時帰国した時には一緒に飲みに行こうと約束をしておいた。 さすがに1年もいれば日本語にも慣れたそうで、毎週末いろいろな所へ遊びに行っているらしい。 そんな風にたわいもない話をして、嫁とオイルフォンデュ食べて、wiiでくそゲーを購入して。。。 短い週末があっという間に過ぎてしまい、また冷房の効いていないオフィスに缶詰状態だ。オフィスというより倉庫なので窓も無い。最近は嫁が弁当を作ってくれるので、ランチで外にでることが無くなって、時間の感覚も無くなってくる。 ふと時計を見ると午後6時半だ。道理で腹が減る訳だ。 一歩外に出てみると芸術的な夕日が広がっていた。見事なまでのオレンジからブルーのグラデーション。いくらフォトショップでだそうとしても出ない色だな。。。なんて考えながら、しばらくの間自然の贈り物を堪能する。 そしてあっという間に日が暮れた。 暗くなり始める外の空気を一気に吸い込んで、オフィスに戻ると人工的な明るさのコンピューターモニターが迎えてくれた。 今日も遅くなりそうだ。 ワイアレスマウスの充電が切れて、その充電中にすることがなかったので久々に更新してみました。 自分にも充電を。
2008.09.30
今となってはもうかなり前のことになってしまうが、7月に膝の手術をうけた。日本では肩と膝の手術をした経験があったが、アメリカでは始めての手術。「始めてのおつかい」並みにどきどきしたのは言うまでもない。まず、1つ驚いたと言うか、自分の中で1番大きかった違い。日本で左膝をやったときは、部分麻酔だった。正確に言うと下半身のみ。筋肉注射のあとに背中を丸めて腰の当たりに打たれる麻酔にどれだけ恐怖したことか。麻酔は下半身のみなので、上半身は元気だったのだけれど、朝早い手術で眠かったから結局手術中は爆睡していた。それが、こちらでは問答無用で全身麻酔だった。なぜ部分麻酔じゃないのかを聞いたところ、「健全な人は全身麻酔で問題ないわ」って麻酔科の人に言われた。もう1つの違い。これは費用のことなんだが、値段の違いは日本では親が払ってくれたのと、先日電話で「日本ではいくらだったっけ?」と聞いても覚えているはずも無く(そろそろ10年にもなるし。。)比べようがない。ただ、大きな違いとしては、手術日が決まって1週間前とかになっても実際手術にいくらかかるのかを教えてくれない。教えてくれないというよりは、聞かないと言ってくれない。そしてたらい回しにされる。これは正直焦った。 電話の内容はこんな感じ 病院(以下「病」):もしもし俺:あ、今度手術を受けるJJです。手術の費用を知りたいんですけど。病:手術代は場所代と医師代に別れます。俺:いくらずつかかるのですか?病:こちらは手術センターなので場所代しか分かりません。俺:場所代はいくらなんですか?病:600ドルです(実際は端数があったと思う)手術の当日に支払いをしてもらいますので小切手を持ってきてください。俺:へい。それで医師代はどうすれば分かるのですか?病:医師に直接聞いてください。 ガチャ 医師のアシスタント(以下「医」):もしもし俺:あ、今度手術をうけるJJと申します。今度の手術代がいくらか知りたいんですが。医:少々お待ちください。。。。医:2000ドルですね。俺:(お、結構するな) 医:ただ、保険が幾らかカバーしてくれると思うので、保険の支払い以外の部分をお支払いください。俺:今その値段というのは分からないのですか?医:保険の方に直接お問い合わせください。 こんな調子だ。 そしていざ手術が終わって、2ヶ月程経った今請求書が届く。。。。。 すべて別々の場所から別々の手紙で。 医師代:430ドル (おお、かなり安くなったな。) 麻酔代:120ドル (え?麻酔代って別なの?) 弾性ストッキング代:12ドル (ストッキングも別かよ!!せこいな。) そんな調子です。ってゆうか請求一緒にせい!って感じだ。それから家に帰ると他に請求書が届いてないかびくびくする。 「手術着代」とか 「手術中に膝の内部を撮った写真の現像代」とか 「電気代」とか この国は怖い。
2008.09.18
嫁の姉が婚姻届を出すらしい。そして式は来年の4月にするらしい。。。。おい、かぶっとらんか?場所はハワイだとさ。場所はかぶってないけど。こちらは一応来年の3月か4月に式の予定です。予定はあくまでも予定ですが。脳内妄想に近い予定。お菓子でもまいてやろうか。。。とかいろいろ妄想中。とりあえず決まっている事は名古屋か尾張旭でやるってことだけ。
2008.09.13
考えてみれば6週間という期間を終えて、1人の優秀な人材がこの会社の元を去った。元々4人という少数精鋭で回っている会社だから、そこに入ってくる1人というのは色んな意味で大きい。最後の方にはお別れ会や作品上映会なんかも開いて、丁寧に送り返してあげた。これがうちの会社流だ。ただ、普段だとオレンジカウンティーにあるとびっきりの夜景のレストランで予約を取るのだが、今回は諸事情でロングビーチのカリフォルニアロール屋になった。そして食べた後にシグナルヒルで夜景を見る。少しごまかしだが、本人は感動していたようなのでよしとしよう。本人が最後に残していったDVDを、最後の日に発表させた。これがまたすごい出来だったから驚いた。何も知らずにひょっこり現れた1人の人間が、ほんのわずかな期間でここまでの物を創れるのかと。見る前は「甘い批評をしては本人のためにならない」と思っていたのに、見た直後には感動しすぎて、「あなたには映像を作るセンスがあります。是非戻ってきてください」だって。そのビデオの内容はごくシンプルなものだった。ホームステイ先のホストファミリーを撮影して、子供と一緒に歯を磨いているところなんかがあって、そして朝出社するためにバスに乗り込むところからオフィスに到着するところまで。そして会社のメンバーの紹介。構成はいたってシンプルなんだけど、そこに付属してくる音楽、ナレーション、編集のカット1つ1つにこだわりを感じる。そして何よりも温かさを感じる。臨場感が溢れる。もともと発表会自体は彼女のためだけに開いたのではなく、2週間に1度定期的に行っているものだ。業務とは別に個人個人のスキルを伸ばすために、「私は2週間でこういう物を創る」と発表させ、それをみんなの前で発表する。個々のスキルアップのためだ。自分も30秒のCMなんかを発表したりした。とにかくそれはいいとして、彼女の作品から教えてもらった事はたくさんあった。そして、映像創りの原点を見た気がした。自分にとって、こんなにプラスな刺激を与えてくれていったインターンが、またいつか戻ってくるといいなぁ。。。と心に思い、また明日から映像を創っていこうと思う。
2008.09.07
昨日の夜、嫁と2人で見学に行ってきた。体育館のようなスペースで、バスケットコート1面分の広さの様なところで多くの剣士達が技を磨いていた。その場所に足を踏み入れるとあの防具と汗の「剣道臭」がした。俺は「あ、懐かしい匂い」だったが、嫁からしたら「何この匂い?」だった。小1時間ほど見学したのだが、結構上手な人も数人いて、わくわくした。それから、見学していた場所のすぐ手前に誰かの木刀が置いてあって、それで素振りをしたくてしょうがなかった。唯一の欠点は、場所がかなり遠くて、車で40分ぐらいかかってしまうところだ。万が一始めるとしてももう少し近いところを探そうと思う。
2008.08.29
知っている人は少ないが、俺は昔剣道をやっていた。始めたのが幼稚園の年中組の時。辞めたのが小学校6年生。だから丸8年間やっていたことになる。小さな古い道場で、週6日、2時間の間、地獄の練習(訓練?)が始まる。夏は暑い、臭い、辛いの3拍子。冬は寒い、痛い、帰りたいの3拍子。竹刀でたたかれてできたたんこぶを抑えながら涙目で帰途についたのは数知れず。禁じ手の突きなどの練習もさせられて、首にはつねにみみずばれができていた。そんなに練習しても、成果を発揮できるのは年にたった1回の市の体育祭。その他には昇級試験があったが、年齢制限があるため思うように上に上がれない。あの頃はとにかく剣道が嫌で嫌でしょうがなかった。8年間続いたというよりは、辞めるのに8年間かかったという方が正しいかもしれない。ただ、日本の武道というものは奥が深いもので、今さらだけれど感謝すべき面がたくさんある。武道に共通する礼儀作法、目上の物に対する敬意、そして5歳児vs15才以上の高校生というのが当たり前な乱取り稽古から学んだ弱肉強食という観念。市のトーナメントでクラスの女の子と当たってしまった時の無情さ。社会に出てから「やっててよかったな」と思える部分が無くはない。以前から知り合いだった人が、剣道を週2回練習しているということを耳にし、ちょっと見学に行ってみようと思っている。とゆうことで、明日のレポートに続く。
2008.08.27
先週の1週間の撮影中に右手が腱鞘炎にかかってしまい、現在カイロプラクティックと針(鍼?)に通っている。先生はとても若い先生で、しかも日本でアメフトをやっていたということもあって、体育会系の気持ちがよく分かってらっしゃる方だ。とゆうことで、腱鞘炎と一緒に、先シーズンに傷めた首と手術をうけた右ひざも治療をしてもらっている。「すんません、問題だらけで。。。」って謝りながら。昨日も朝からわざわざ車で30分以上走って行ってきたわけだが、つくづくカイロプラクティックの先生はすごいなと思う。だってよ、人の首を持って「ぐきっ」ってやるんだぜ。「ぐきっ」って。そんでよ、人の体に針を刺すんだぜ。「ぐさっ」って。それってさ、どっちも一歩間違えたら。。。って思うわけよ。これだけ体にがたが出てくると、さすがに年のせいとかにもしていれないな。。と思い、今日近くのフィットネスショップに行ってバーベル買ってきた。よく考えたらここ2年ラグビーやってるのにオフの間は何もしなくて、シーズン中は怪我してさらに何もできてないんで。いきなり重いのをやってもだめなんで、現役時代(高校時代)は楽勝だった30キロから。そんでもって晩飯食ってしばらくしてから持ち上げてみた。。。。。お。。。ん。。。。。。。。。もい。。。。はぁはぁはぁ。。。。もっちょい。。。。。ピキッッ!!!あ、腱鞘炎の場所が。。。。ちょ。。。ゆっくりやっていくことにします。。。。笑
2008.08.24
日本から来てるインターンと話してると、しょっちゅう日本のはなしになる。日本の話=学生時代の話=99年以前=20世紀だから一昔前の話になるんだが。懐かしい話に花を咲かせている間に俺とその子に共通点があることが分かった。渡米して9年の俺も2週間の彼女も「早く母ちゃんの飯が食いてえ」と思っていることに。
2008.08.12
オリンピックが開きました。開会式は1日遅れのライブ放送を同僚4人と嫁とその友達と、酒を飲みながら見る事ができた。男は誰でも人生に1度の花を咲かせたいと思うもの。テレビで勇姿をふるうアスリート達は、誰しもが花を持っている。もちろんそれ相応の重圧もあるのだけれど。そこに立つためにへどが出るような練習をしたんだろう。鍛に錬を重ねたんだろう。「これだ」と思う事に体と精神の全霊をかけてきたんだろう。自分にも今まさに「これだ」と掴めそうなことがある。それが「世界新」じゃなくても「自己新」であることが大事なのだ。次のオリンピックは4年後らしいが、俺のオリンピックは4ヶ月後に始まる。そのためにこれまで何ヶ月も動いてきた。もちろん報酬はない。しかし自分の手にはおえない程のプロ達が動き始めている。「何か新しいことを」「何か違うことを」「何か驚きなことを」のアイディアのみを淘汰し続けた1つの結果が世に生まれ落ちる。後は「金メダル」を「撮る」だけだ。
2008.08.11
先週末、日本に行って早1年の友人D氏が夏休みを利用してこちらに戻ってきた。ハウスパーティーに呼ばれたので妻と一緒に行ってきた。そこで話していた間に彼が冗談まじりに言った一言が未だに忘れられない。「日本では酔っぱらったらネクタイを頭にまくんだぜ」間違ってはいないよな。。。。。
2008.07.24
ちょっと前にハワイにいった時の動画をmixiにアップしてみた(初試み)クオリティーには満足できないけど無料サービスに文句は言えないでしょう。3つあるんで暇な人はどうぞ。
2008.07.22
手術から早4日。手術当日とその次の日は全身麻酔の残りかすで眠いしふらふらしてた。3日目は膝の麻酔が切れたのか、急に痛み始めた。それから夜寝る前に、ストッキングやらガーゼやらを全部とって、もらったローションでべとべとを取り払った。その時に発見したのが、穴をあけられたのは2箇所だったと思ってたんだけど3箇所だった。あれ?多いぞ。ま、いっか。4日目の朝、起きたら治ってた。完治とまではいかないけど、起きた瞬間からひざが格段に軽かった。お?ええじゃないか。来週の月曜日には抜糸だ。早く抜いてしまいたい。
2008.07.16
7月11日金曜日、朝8時半に妻に連れられてひざの手術を受けに行ってきました。アメリカでは初の手術。日本では左膝の半月板の手術を受けたが、それの右足バージョンだ。日本でやったときは、下半身麻酔だけだったのだが、こちらでは全身麻酔だった。手術台に乗っけられて「麻酔の前に酸素を肺に入れるので2回ぐらい深く吸ってください」と言われてマスクをかけられた。2回ほど吸ったけど、マスクを取ってくれなかった。あれ?と思いながら3回、4回、と吸った。目を覚ましたら手術は終わっていた。「麻酔だったのかよ。うそつくなよ。。。」と思ってしまった。その後は1時間ほど休憩して、妻と一緒に仕事場へ。数時間して、撮影へ。意外に痛みも無く、なんなく手術のその日にカメラを担いで歩き回りました。もちろん医者からは24時間安静と言われていましたが。。。そして翌日の今日は、ラグビーのセブンスのトーナメントがロングビーチであるということでまたひょこひょこ観戦に行ってきました。来シーズンに向けて、この膝をしっかりと治していこうと決意ができた。ちなみに今はこんなんです。
2008.07.12
ハワイに行ってきました。あれ?題名と関係ねえな。でも行ってきました。2週間の徹夜作業の後に1日休みをもらっても罰はあたらないだろう。ないだろう。そりゃないだろう。ってゆうかハワイに行けるならまた徹夜してもいいかな。と思えるぐらい良かった。現地で合流した新妻さゆちゃんと、急遽ハネムーンってことにしちゃったぐらい良かった。ハワイの話は置いといて、日本から来た友達に聞いた話では日本でタバコ代が上がるそうだ。1箱1000円とか?なんじゃそりゃ?ちなみに彼はスモーカー。すぱすぱ吸ってた。そこで思った事を1つ。たばこを吸ってる人は、それが好きで吸ってるわけだ。そりゃそうだ。人によって好きの度合いは違うだろうけど、今吸ってる人達っていうのは1箱300円ぐらい「好き」ってことだ。そして人によっては500円までなら払えるとか、800円までなら。。とかあるかもしれない。例えばだ。俺がラグビーをやる。今のクラブチームでは1シーズン辺り230ドルほどを回収される。1シーズンの試合数が大体12試合前後。アウェイの試合時の飛行機代等がカバーされるので決して高くはないのだけれど、そのことを無視したとしても1試合約20ドルの出費だ。それが高いのか安いのか。というところだ。タバコはお金を出して不健康になるんだろうけど、ラグビーも決して健康になるスポーツではない。怪我のリスクを考えるとむしろ不健康なほうだ。でも、1試合20ドルというのは自分的には高くないと思うし、タバコだって1000円になろうが2000円になろうが吸う人は吸うだろう。タバコは人に迷惑をかけるだろうという人もいるかもしれないが、ラグビーみたいに知らない人に全力でタックルするような迷惑度と比べたら知れているだろう。まあそれを承知でフィールド内にいるのだけれど。。。とにかくハワイは楽しかったって事だ。写真をのせておく。lanikai beach初パラセーリング
2008.07.08