『HAMLET(ハムレット)』
昨日、渋谷のシアターコクーンへ、蜷川&藤原版『ハムレット』を観に行ってきました。作:ウィリアム・シェイクスピア/翻訳:河合祥一郎/演出:蜷川幸雄出演:藤原竜也(ハムレット)、西岡徳馬(クローディアス&亡霊)、高橋惠子(ガートルード)、たかお鷹(ポローニアス)、井上芳雄(レアティーズ)、鈴木杏(オフィーリア)、高橋洋(ホレイシオ)、新川将人(ローゼンクランツ)、中山幸(ギルデンスターン)、小栗旬(フォーティンブラス)、沢竜二(座長&墓堀り)、他今回の蜷川版ハムレットは、劇場内の中央付近にステージを設置し、客席を対面式した、ちょっと変わった形式の舞台でした。音楽にはブルースが使用され、物語の前半部ではその舞台の四方を高いフェンスで囲った、まるで牢獄のような作り。それらは父親の死と、母親の早過ぎる再婚を嘆き苦しむハムレットの、やり場のない心情をそのまま表現しているかのようでした。そのハムレットが、叔父クローディアスによって父王が暗殺された確証を得た時、宴の真っ最中に突然、起こった思わぬ騒動に、その場に居合わせた人間達がスローモーションで徐々に退場していく様子が、劇的な瞬間と登場人物達の様々な驚きの心情を見事に表現していて、今回の舞台の中では1番インパクトのある、しかも蜷川さんらしい演出でした!物語後半部では、その牢獄のようなフェンスが全て取り除かれて、舞台上にはセットらしいセットのない、殺風景かつ広々とした空間が。ハコ(劇場)の大きさと演出が相まって醸し出す劇場内の雰囲気は、今年、世田谷パブリックシアターで観た、野村萬斎さんの『ハムレット』の方が密度が濃いように感じましたが、若木のようにのびのびとした役者達にとっては、今回のようなシンプルな舞台の方が、返ってその魅力が引き出されて良かったのかもしれないなと思いました。そして往年のハムレット役者から見ると、若過ぎるぐらいに若いハムレット像を演じた藤原くん(21)。膨大な量のセリフを、切れの良い滑舌で淀みなくしゃべり、若さゆえの潔癖さによると思われるような、怒りと苦悩の狭間で葛藤する演技が期待以上に良かったです。復讐を密かに決意し、周囲には気が狂ったように見せかけるシーンではそれほど狂っているようには見えなかったんですが(<それとも、あれは平静さの中にも狂気が見え隠れするような演出だったのかしら…?)、時折、両手で口元を覆ったり、自分の胸元の辺りをかきむしるようにする仕草が、感受性の強い若者の心情をよく表しているように思えて、個人的にはかなり好みの演技でした。あと、これはちょっと深読みし過ぎかもしれませんが、彼の黒い喪服姿が、自分には若い修道士のようなイメージにも見えたので、父親と言う名の神に己の生涯を捧げた聖職者のようにも見えるなぁ…と思ったり、レアティーズからの決闘の申し込みを伝える使者を前にしている時、腹心の友のホレイシオが、後ろで軽く背もたれに寄りかかりながら立って控えているその椅子に、ちょっと姿勢を崩した状態で座って、その申し出に耳を傾けるハムレット…と言った様子が、やっぱりハムレットは正真正銘の王子なんだよなぁ…と、さりげなく思わせる姿に見えたので、自分の中ではかなり印象に残るシーンでした。そのハムレットと同じく、父親を亡くした若い王子と言う立場にいたフォーティンブラス。小栗くん、セリフまわし…と言うか、発声そのものがまだ舞台仕様にはほど遠い感じで、声を張り上げるセリフが、ただただ大きな声を出しているだけのような、重みのない言葉の羅列になってしまっていたのが何とも残念でした。物語のラストは彼のセリフで締めくくられるのに、あれでは全く締まらない。血気盛んな若者と言う設定だったとは言え、もっと王家の子息らしい威厳と品格が欲しかったな…。その点、井上くんのレアティーズは発声も良く(<ミュージカル俳優なんだから当たり前だけど)、ホントにいいトコのボンボンなのねぇ…と言うような育ちの良さがプンプンと匂ってくるような感じ(笑)。藤原ハムレットの黒い衣装とは対照的に、井上レアティーズの衣装は真っ白で、スラリとした長身同士が並び立つとむちゃくちゃサマになるツーショットでしたが、決闘シーンの殺陣はふたりともまだ腰が軽い感じで、イマイチぎこちなさが目についた…かな(苦笑)。それから、同じく父親を亡くした若者のひとりでもあるオフィーリア。鈴木杏ちゃんの演技には結構、期待していたんですが、恋に関する乙女の心情を語るセリフまわしがまだ自分のものになっていないような、所々上滑りをしてしまっているように感じられたので、よく通るキレイな声をしていただけに、個人的には、思っていたよりも真に迫ってこなかったのが残念でした。フランスへ向かう兄レアティーズとのやりとりは、かなり可愛らしかったんだけど…。全体的には見応えのある面白い舞台だったし、藤原くんの年若いハムレット像がいい方向に作用した舞台だったと思います。その年若いハムレット像に呼応するものとしての演出からか、高橋惠子さん(<美しかった…!)のガートルードが、息子を愛してはいるけれど、女としての自分も捨て切れない妖艶さもある母親像に描かれていたのも印象的でした。萬斎さんの『ハムレット』で演じていた篠井英介さんのガートルードは、息子を心から愛していながらも、かつては義弟だったクローディアスの支えがなくてはいられないだろうと思わせるようなか弱さがあって、ハムレットから自分の所業を容赦なく罵られるシーンでは、篠井さんの身も世もなく嘆き悲しむは母親像の方が真に迫って見えましたが、見るからに若々しい息子を持つ美しい母親像としては、今回の見せ方の方がリアルな演出なのかもしれないなとも感じました。それにしても、こうやって何十年、何百年と、様々な演出家や役者によって、色々な解釈で演じ続けられているシェイクスピア戯曲。日本でこれに相当するものって、歌舞伎を始めとする古典芸能…になるんでしょうか。ただ、古典芸能は限られた者だけに受け継がれていく技と伝統の制約があるので、やっぱりちょっと違うかな?以前は、シェイクスピア劇の、あの切れ間なく続く膨大なセリフ量に観ていてちょっと疲れを感じることもありましたが、今ではそれらを楽しめるような余裕も出てきたので、自分も観客としてそれなりに成長したもんだなぁと(笑)。来年は、安寿ミラさんがハムレットを、植本潤さんがオフィーリアを演じる男女逆転の異色の『ハムレット』を観る予定なので、そちらの役者の演技や演出の違いを観るのも、今からかなり楽しみです♪