テストの点数
最近、ある人と話していて感じたことがありました。それは「自分は勉強が得意じゃなかったんで」「〇〇高校?頭いいですね」というような会話。私はその人の出身校(公立高校)を聞いて、特段な進学校というわけではないけれど決して本人が言うまで「勉強が苦手だったんだな」などとは思わなかった。むしろ、頭がいいわるいみたいなことって話していればわかることですし。頭悪いななんて感じることもありませんでした。なぜ、「勉強ができなかった」というような言葉が大人になっても口をついて出るのだろう?(その人は30代後半)ふとそれは、どのくらいのテストの点、偏差値じゃないと「勉強ができない」と身近なおとなが言っていたのではないかと思ったのです。***例えば、よくできることの合格ラインが【80点】の人と、【95点】の人では同じ点をとっても評価が変わってしまう。もし90点を取ったとして、前者なら「よくできた」だろうし後者なら「できなかった」となるのだろう。つまり期待する人の「期待値」によって、リアルな成績についての評価が「よくできた」「あまりできなかった」と相対的に決まってしまうのだろうということです。だから、95点について95点「しか」とれなかったのか95点「も」とれたのか評価基準というものが刷り込まれたらなかなか消えないのかもしれません。特に自分の学歴、経歴みたいなものについては〇〇高校=頭のいい子がいくとかそういう、漠然とした評価をすることが多いので、大人の言うそのままの評価を刷り込まれてしまうのではないでしょうか。***我が家の中一の三男の2回目の定期テストが終わりました。前回とうってかわって私から「テスト、返ってきた?」とは聞かないようにしています。(いまのところ)なぜならそれをしつこく聞くことが「親はテストの点数に興味がある」ことを強く刷り込むと思ったからです。大人が興味あるのは、テストの出来、点数、順位みたいなことで果たしてそのテストの中身や意味などについてはまるでわかっていなかったりするのではないでしょうか。「一般的に」【よいといわれている】評価をもらう【ことについて】興味があるのだと感じた子どもは親が見ている先に興味をもちはじめるのではないでしょうか。つまり、テストでみんなよりよくできたのか?できなかったのか?それを知りたい素振りを親の中に見たら結局、子どもはそこに焦点をあててみてしまう。本当に大事なのはそこかどうかわからないと思う。。。だから、その都度、点数はどうか、順位はどうかというような質問もしないというようなことをやってみたらどうかと、ふと今日は思ったのでした。