ちんちんのカスみたいな人生よ/ひっそりとブログを再開
抗精神薬ジプレキサを飲みだして2週間が経った。この2週間で、これまで絶望のふちでもがいていた私は緩やかながら病状がよくなってきた。それで、こうして日記を書いている。(ジプレキサ2.5ミリグラム、眠剤のロヒプノール1ミリグラム)これが現在の私の服用すべてである。就寝前に飲むだけ。メンヘラーとしては少ない量である。しかしながら、私の脳みそには程よく効いている。ここに至るまでには長い道のりがあったのだが。◎昨年の7月、私はJ病院メンタルヘルス科の閉鎖病棟に入院した。まったく、生きていくための意欲がなく、思考は停止し、トイレに行くための離床さえめんどうであった。当然のように1時間かけていく精神科クリニックの通院もできなかった。老齢の父に代わりに薬を取りに行かせた。そんなことが毎週続き、私はコンクリート建築の自宅と同化するように鈍重になり、父も私も言葉には出さないが、いずれも私はすでに廃人であると考え、適切な対策がわからず、ただただ私は停滞していた。ケースワークの世界でしばしば出くわす「困難事例」に私とアルコール依存症の父は陥っていた。◎私は、もう死ぬしか手はなかろうと考える毎日であったが、精神病院という世捨て人生活にたいする気持ちは少なからずあって、いや、生涯精神病院で生きることさえも受け入れつつあった。これまでの4回の入退院は、精神病棟で生きることの味を私の怠惰な心に植えつけていた。N病院の開放病棟ならば、統合失調症で私と同世代のタカハシさんもいるし、15年以上入院生活を続ける、否定形型精神病のアライさん(54歳)もいる。また、いっしょに、私のネットブックでエ●動画を鑑賞することもできる。病棟でナースの目を盗んで観る無修●モノは味わいのあるものである。ぼくらはもう、射●(シャセイ)とは無縁なのに。話がそれた。世の中には毎日をひたすらダラダラ行き続ける精神病棟という世界があり、私はそこの常連として受け入れられていた。あの場所に戻るのは、死ぬよりかよいだろうと思った。病棟での私は、他人が見たらこれが病人なのかと思うほどに、快活でまた手のかからぬ人物だからである。(つづく)