国後島の思い出(娘・代筆)7
島では、根室の空襲にそなえて、皆、防空壕掘りをしていた。大切な衣類等のはいった柳行李を幾つも運び込んでいた。戦局はだんだん烈しくなり、とうとう根室も大空襲にあった。私も今迄いたらどうにかなっていただろうと思った。とうとう戦争も終局を迎える日が来た。・・・終わった。・・・安堵というか・・・張りつめていた糸が、プツーンと切れた様な瞬間・・・でもこれからどうなる・・・アメリカ人が来るとか、いやいやロスケが来るとか色々なデマが飛びかっていた。九月一日、はるか彼方の沖に真黒い大きな軍艦。それがだんだん此方に向かって来る。村の有志達が浜辺に集った。勿論、父もいた。不安そうな皆!!小舟が降ろされ、だんだんと岸辺に進入して来た。上下真黒な着衣の大きな人間たち。とうとう浜辺に降り立った。民衆たちが銃を所持していないか、一人ずつ調べたそうだ。それが終わると、タバコを一本ずつくれたとか・・・それは、日本兵からうばった『さくら』というタバコだったそうだ。だんだんと住居の方に上って来た。一番先に訪問されるのは我が家。私はとっさに、仏間の押入れの中にかくれた。祖母が一人だけ、いた。いよいよ、客用の玄関から入って来た。 ほかのお話はこちら<おことわり>『国後島の思い出(娘・代筆)』を毎回読んでくださっている皆さん、本当にどうもありがとうございます。感想もちょこちょこいただき、とてもうれしいことです。ただ・・・大変申しわけないことですが・・・先日、母から「このあとの話はコンピュータにのせないで」と言われました。このあとは、プライベートなことが出てきたり、具体的な実名がたくさん出てきてしまい、とてもおおやけにできるものではないそうなのです。それだけ、ひとことでは言えないようなつらく悲しくむごい現実があったのだと思います。おそらく、今後も母からは文章が送られてくるのでしょうが、母からそのような申し出があったので、私はインターネットにアップできません。申しわけございません。母の文章を私が読んで…島民2世として私がかみくだいて考えたことを今後、ここに掲載できる…?うう、どうだべなぁ。今後のことは未定とさせていただきます。ごめんなさい!そうだ、国後島でのちっちゃい頃のことだったら、書いてもらえるかな?そういうのがあったら、また掲載いたします♪