元うつ病患者の結婚・妊娠・出産~減薬・断薬2
前回の日記では、妊娠時までを書きましたが、今回は出産時の事を。山あり谷ありで出産にこぎつけました。里帰りで出産したわけですが。出産時にも本当に色々ありました。一部生々しい部分もありますので、苦手な方は読まない方がいいかもです。検診に行った日、どうにもお腹が張って痛い状態。なんかお腹が張ると伝えてモニターされていたところ、「コレ、陣痛きてますよ。」エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?一応ね、車のトランクにお産グッズは載せてたんで、陣痛で痛むお腹と腰をさすりつつ、駐車場に荷物を取りに行きました。検診は一人で行ってたもんで。もちろん、ママンもパパンも仕事中、旦那は新幹線の距離。この時点ではお昼ぐらい。一人で陣痛室でジリジリ。そのうち、張りが酷くなってきたなーマジで痛ーよとか思いつつ耐えてたら、看護師さん達がモニターを見て険しい顔。夕方ぐらいにバタバタし始めたと思ったら、医師が来て、「胎児の心音が落ちてきてるので、緊急手術をします。 ご家族の方に来て貰って下さい。」ェェェΣ(゚Д゚)慌ててママンにも電話を入れ、旦那には手術になるとメール。ママンは飛んで来て、書類とかサインしたり検査したりと準備して、夜になって緊急帝王切開。夜の消灯後、誰も居ない廊下をストレッチャーに載せられ、手術室に入る心細さよ。。。そして手術時。ライトの銀色の部分、ピカピカに磨かれ過ぎて、自分の腹が映ってる。いくら剖検とか何度も見学したことがあるとはいえ、自分の術中の開腹状態は見たくない( ̄△ ̄;)見えないようにしてもらえないかと頼み、目の前をカバーで覆ってもらいました。帝王切開は局部麻酔なんですが、その硬膜外麻酔の注射が痛い。そこまではいい。「効いてきたかな~?どうですか?」と医師に訊かれ、触れる感じは鈍くなってきたと言ったのだけど、メスを入れられた直後、「イテテテテテ!!!!」効いてねぇ!!ヽ(`Д´)ノ涙目で暴れそうになる自分の腕を抑える看護師さん達。麻酔追加されました。今度こそ効いたかと、色々チェック後に、切られたけど、怖かったよ・・・。子供を出すのにグニグニ押すのとか、痛くはないけど感触があるんだね。生まれた瞬間の感想は、「良かった。。。終わった。。。無事に出てきた。。。」この後の方が、自分的には辛かった。出産した夜、パンパンに脚がむくれ、寝返りも打てない状態。熱も出てウンウン唸ってました。ここまではまあ、手術後だし仕方ない。麻酔が切れ始め、自分で痛み止めを押して打つ感じなんですが、それを押した直後。夜中だったんだけど、全身が熱くなって、身体が動かなくなってきた。息が苦しくなってきて、身体が硬直状態。このまま死ぬかと思った。その長い時間の後、ちょっとだけゆるんで動ける瞬間に、ナースコールを押して意識が飛んだ。気が付いたら、ベットがナースセンターの隣の部屋に移動されていて、点滴打たれてた。肩がゴッリゴリで首もガチガチ。しばらくボーっとして動けなかった。その翌日、精神科の医師がやってきて、診察があった。どうやら、麻酔云々ではなく、パニック発作とかそっち方面だったみたい。それから何回か、退院までにカウンセリングみたいなものを受けて、退院時には頓服を渡された。出産後は、今度は旦那と里帰りから帰宅する時の事で揉めた。旦那は、里帰りから自宅に帰る時に、旦那実家に泊まりたいと言う。私は日帰りで顔見世は良いけど、泊まりは体調的に無理と言う。平行線で、夫婦仲悪化。自宅に帰る日にちが伸びた。それに伴って、精神的なものも悪化。しんどかった。なんだかんだで自宅に戻ってからも、結構その状態を引きずっていて、生後5か月ぐらいで限界に。爆発して旦那と大喧嘩。泣いて辛さを訴え、色々あった。それから3か月ぐらい、寝たり起きたりしか出来ない日もあったりした。1歳ぐらいになった時、あまりに具合が悪いのが続くので、精神科にかかる。薬を服用する為に、断乳決行。断乳は辛かった。でも、断乳しないと薬は飲めない。泣きながら夜を乗り越え、断乳した。それからしばらく、薬を飲んで、カウンセリングも通い、落ち着いた頃に減薬、頓服だけ出されてすんなり断薬。ここまでで1歳半ぐらい。今度は二人目問題が。旦那は二人目が欲しい、私は妊娠出産が怖い。また悪化するかもしれない、手術後にまたパニック発作が起きるかもしれない。妊娠中の悪阻も辛いし、一人目も見つつそれが出来る自信がない。出生前診断で羊水検査の時とか、一人目の子はどうすんだとか。何日もかけて話し合った。協力をしっかりする、出産は里帰りせずに自宅で、とか色々提案もあった。結局、私も折り合いをつけられた頃、二人目を妊娠。今度は、結構幸せな妊娠生活だった。悪阻は確かに酷くて、一人目は暴れまわる時期だし、辛かった。でも、気持ちがものすごく落ち込むこともなかったし、夫婦仲も良かった。多分、何日もかけて本音で話し合ったのが良かったんだと思う。出産自体も、精神科の入ってる総合病院。出産前からカウンセリングを何度もしてもらったりした。ハイリスク妊婦だから、その説明も旦那同席でされた。予定帝王切開だから、旦那にも麻酔とかそういう説明をきっちりされた。帝王切開当日は、旦那が付き添ってくれた。そのおかげで、かなり安定した気持ちで二人目は出産できた。この経験があったおかげで、一人目の妊娠の時の辛さとか、そういう気持ちの澱みたいな暗いものが、だいぶ薄れた。二人目の幸せな妊娠出産の記憶が、上塗りしてくれた感じ。一人目は、本当にダークな思い出しか妊娠出産期になかったから、あまり思い出したくなかったりする。振り返ると、辛かったなぁ、と思う。今だから、こんなこともあったなって思えるけど、当時はどうしたらいいか分からなかった。医師には何も言われなかったけど、産後鬱に足を突っ込んでたんだと思う。自分ではうつ病の再燃だと思ってたけど。あと、産後クライシスにも当てはまってたのかも。・・・てな感じで、妊娠出産したから簡単に幸せになれますよなんて、気軽には言えません。周りの環境とか人間関係とかで、ものすごく左右されるなって思います。特に、実家が遠い、周りに頼れる知人友人もいない、生活基盤や夫婦関係がしっかりと構築できてない、断薬からあまり時間が経ってない。こういう状態だと、妊娠後にもずっしりくるなと思いました。まあ、振り返って思う事なんですけどね。当時は必死だったし、しんどかった。今でも眠りはかなり浅いです。不眠症まではいってないですが、精神的に悩みがあると、すぐに不眠になります。なので、あまり考えないように、悩まないようにと心がけてます。うつ病の始まりの頃、最初の症状が不眠と手の震えと食欲不振だったので、不眠と手の震えが出てきたら、自分でヤバいと思うようになりました。そこに眩暈が起きてきたら、とりあえず休むようにしてます。寝込んでいても何も文句を言われないのは、非常にありがたい。。。こんな感じの妊娠出産・断薬でした。ということで、断薬からはまだ5年経ってません。このまま過ごしていけたらいいなと思います。幸せな記憶で、辛かったのとかしんどかった気持ちも上塗りしていけたらなと。海を見るのが、しばらくは辛い時期がありました。特に遠浅のゆるい砂浜。しんどい時期に、何度も入ろうかしらなんて一人で眺めていた記憶でザワザワして。ここ2年ぐらい、皆で海に行ったりして、旦那の笑顔を見たり、隣で笑ってたりして、それで上塗りできたのか、一人で砂浜に立って遠くを眺めても、ざわざわした気持ちにならなくなりました。その頃から、当時聴いてた曲を聴いても、不安定にならなくなりました。記憶の上塗り。感情の上塗りでもあるんですね。辛い記憶を、楽しい記憶でちょっとずつ置き換えていって、感情を安定させていく。そういうのが自分の安定度を高めていっている気がします。不安定な頃に触れたものは、自分が不安定になりやすいので避けるか、こうやって楽しい記憶や感情で上塗りするか。そうすると、寛解後も安定しやすくなると思います。安穏と能天気に暮らしてるように書いてますが、裏では色々あったのよー、なんて。今だからこそ書けるけど、しんどかったですわ。こんな感じでした。ハイ。はー、今生きてて良かったと思います。出産時は、本気で死ぬかと思ったけど(呼吸が出来ない的意味で)。二人目出産から2年は経ったので、産後鬱の心配からは脱出できたと自分では思ってます。日々を大事に過ごしていければいいな。