※この物語はフィクションです。
ボーーーーーーーシュシュッシュシュ、ボーーーーーー。ゴォォォォォォオ---------。トンネルから真っ黒な車体が顔を出す。真っ黒な煙をはき、白い蒸気をまとってトンネルの出口からその巨体がすごいスピードで姿をあらわす。D51蒸気機関車。ミュラーが幼いころ、男の子は御多分にもれず鉄ちゃんになるわけで近くに踏切があったので、日がな一日線路のわきの道にたって汽車が通るのを眺めていることが遊びの一つでした。物心ついたころというのは、ディーゼル機関車(古い~)が主流を張り出したころで蒸気機関車は引退するような方向になっていたようでした。ディーゼル機関車がしょっちゅう走っていた中で、めずらしくD51が走っていたわけです。それが初めてだったんではなかろうか、と思うわけです。後にも先にもそれ一回だけでした。おそらくですが、D51のラストランに立ち会ったのではないかと推測するわけです。強烈なインパクトがありました。いまだに瞼の裏に焼き付いています。絵本の中でしか見たことがなかった、蒸気機関車が目の前を通っていったわけです。ものすごく興奮しましたし、感動しました。黒煙をはき、白い蒸気をまとって走る黒い鉄の塊は衝撃でした。両親にその感動を幼児の表現力であますことなく伝えたわけですよ。そして返ってきた答えは。。。。そんなことあるわけない。嘘をつくな。だったんですな。D51なんて、そんなものは走っていない。真っ向から否定されました。しかし、幼い私が見た光景は、真実だったわけです。そのD51の車体は、後ほど、近くの公園に展示されるようになりその車体を見たとき、やっぱりあれは嘘ではなかった、自分はこれが走っているのを見た、と主張をしたものの、嘘をつくな、が両親からの回答でした。そのころからかな、あまり笑わなくなったのは。。。お兄ちゃんだからしっかりしろ。とか、長男としての十字架を目一杯背負わされたのもそのころからだし本当のことを言っても信じてもらえないことについて、深く傷ついたような記憶がある。でもさぁ、子供のいうことだから「そうだったんか、すごかったんだね」と話を聞くだけでよかったんじゃない、と思うわけですよ。幼い子供は、いろんな情報が入ってくるとそれをつむいで物語を作ったりするだろうし、その夢物語の一環で聞いてもよかったんだじゃないか、と抗議したいところです。別にそれが本当かどうかはあまり重要じゃないような気がするんだよね。要は、親がしっかりと子供の話に耳を傾けているか、というところが大事だとおもうのだね。そこで話をまともに聞かず、面倒くさいから、忙しいからと頭からそんなことを聞く気もなく、つぶしてしまうと、そこをこじらせてのちのち大変なことになって親に返ってくるわけだよ。夢物語でいいと思うので、面白い話だった家族以外に話さないほうがいいかもね、ということにしておくとその子のメンツも保たれるし、親との信頼関係も築くことができるのではないかとかんがえるわけですね。そうしてほしかったかな。あと、ミュラーはおそらくですが、人が見えないものが見えていた時期があるかも、という疑いがあるわけで。神社が近くにあったから、たぶんいろんなものが見えたり聞こえたりしていたかも。。。それを両親に話をしたら、まずもって信じてもらえない。嘘をつくな、そんなものはない、と否定したくなるだろうね。これもまぁ、夢物語として聞いて、家族以外にはお話ししないように家族の秘密にしよう、ということにしておくと、のちにこじらすことはなかったような気がする。夢物語を聞いてほしかったんだよね。だって、その時には、それが真実であり、本当のことなんだから。対外的にそれを公開するとまずい場合もあるのでそれは家族の秘密ってことで口外しないようにすればよいだけです。人が見えないものが見えたりするのは、成長とともになくなっていく能力だから。そんなことより面白いことがいっぱいなのがこの世だからさ。ああ、すっきりした。読んでいただいてありがとうございます。幼い時の心の傷の話でした。追記当時のD51について詳細判明しました。https://www.city.iwade.lg.jp/toshikeikaku/park/sl-park/d51-930.html昭和47年11月6日にラストランだったようです。それを見たんだね。本当にすっきりした。自分は嘘をついたわけではなかった。それがわかっただけでもものすごい収穫だった。ありがたいです。