テーマ:里山生活系(100)
カテゴリ:父の麦わら帽子
子供の頃、岡山の田舎に住んでいた。
今から60年以上前のことだ。 その頃、野菜は全て、自分の家で出来たものだった。 茸など野菜以外のものも、自分たちで山からとってきた。 魚や貝は、川からとってきた。 そんな暮らしだったから、卵を得るために、みんな、自分の家で鶏を飼っていた。 家の南にある縁側が鶏小屋の屋根になり、その下に金網をはって、鶏小屋にした。 よその家の縁側に座ると、鶏に足をつつかれないように気を付けなければならなかった。 我が家は、南に縁側がなかったので、昼間は、放し飼いにし、 夜になるとものすごく大きな籠を伏せて鶏が逃げないようにした。 ある時、父は 「鶏小屋を作る」と言った。 家の南の一角に、細めの角材を何本も地面に打ち付けた。 そこに、金網を張って、トタン板を屋根にした。 細めの角材を地面に打ち付けている時、妹が 「お父ちゃん、全部で何本?」と角材を見て言った。 「●●本じゃ」と父。 「じゃあ、今●◎本じゃから、後、〇本じゃ!」と妹が言った。 妹は、まだ小学校にも行ってないのに、二桁の暗算が出来ると父がたいそう喜んだ。 鶏が生んだ、たった一つの卵を、わずかなお金を得るために、近所に売った。 自分の家で食べることもあったが、 一つでは卵焼きは作れず、 ゆで卵には、けんかになるので、溶いて味噌汁に入れ食べていた。 小さい頃がそんなだったからか、今、冷蔵庫の卵ポケットに卵がいっぱいだと豊かな気持ちになる。 お正月には、卵焼きや、ゆで卵をたくさん作ろうと思う。 あの頃の思いを満たすように、私は卵が好きだ。 ■とり年ですから■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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