テーマ:懐かしい昔の話(548)
カテゴリ:父の麦わら帽子
今から65年以上前に、岡山県の田舎で小学生時代を過ごした。
私の住む集落の真ん中あたりに、大きな椋木(むくのき)があった。 少し離れて、榎(えのき)があった。 榎も巨木だった。 その二本の木の下は、小さな広場になっていた。 二本の巨木が影を落として、夏でもそこに行くと涼しかった。 その広場をサントウサマとよんでいた。 エノキの下に、小さな祠(ほこら)が祀られていた。 この祠には、伝説がある。 昔、昔、戦国時代のこと。 ■天神山城■落城の際、城主宗景の姫が逃げ込んだのが、私の集落のすぐ近くの山だったという。 姫は、川の水を飲みに出て、村人に殺された。 その後、集落には、疫病が流行り、恐れた村人は、姫を手厚く祀ったという。 その後、盆踊りをして、姫を慰めた。 という話が、私の子どもの頃にも、伝えられていた。 榎は、昔、重宝された。 その成木はたかだかとして枝もよくのび、老樹になると神寂(かみさ)びてみえる。 昔の人は、この木を愛し、橋のたもとや村境にうえた。 また一里塚にもうえて、「印の榎」とした。 「街道をゆく 赤坂散歩」司馬遼太郎。 昔の村人も、姫のことを忘れないようにと「印の榎」を植えたのだろうか。 8月23日の地蔵盆には、村の婦人会が、サントウサマで、小さな踊りの会を開いた。 ♪大坂ご番所でとめられたよ、(アレハヨイヨイヨイ) ♪高い山から谷底見ればよ 瓜やナスビの花盛りよ (アレハヨイヨイヨイ) ♪踊り踊るなら品(しな)よく踊れよ(アレハヨイヨイヨイ) マイクも太鼓をたたく人もいない素朴な盆踊りの音頭をとるのは、私の同級生の母親だった。 3時過ぎくらいからの踊りが終わると、紙に乗せられた、白砂糖が、子供に配られた。 甘いものが手に入りにくい時代、子供の目当ては、この白砂糖だった。 七夕が終わって、翌日の夜は、手火(てび)があって、15~16日は、盆踊り。 永遠に続くと思っていた長い夏休みも「サントウサマの祭」が終われば先が見えてくる。 しかし、学校が始まるのはずっと先。 明日も明後日も遊べるし泳げる・・・。 私の子供の頃、家には、クーラーはおろか扇風機も無かったけれど、夏が大好きだった。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.26 00:27:06
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